韓国留学体験記①
そういや1年前、韓国に行ってたんです。3カ月間。ほんとは6カ月間行く予定だったけど笑。1年前の写真を見返すと、日本から飛行機に乗る瞬間の写真があってここから始まったんだなと思い、そういや韓国のことSNSにもあまり挙げていないなと思って。てことで今回、韓国での3か月間をnoteに書くことにしました。noteは期間が空いて書くのがしんどいことが分かったので次からはすぐに書く習慣をつけておこう笑。
初日に食べたご飯笑。
1、なぜ韓国に語学留学したの?
これは行く前も行った後もよく質問されます。大学では英語教育を専攻している僕がなぜ韓国語を学びに韓国へ留学しに行ったのか。
遡ること中学2年生の時。当時、k-popが人気でkaraや少女時代にめちゃくちゃハマっていました。韓国に興味を持ったのも、k-popが最初のきっかけでした。中学2年生の当時、紅白歌合戦に韓国のグループ3組が出演していたくらいブームを巻き起こしていました。僕は好きなグループが日本で活躍している姿を見るのが嬉しかったし、何よりk-popを通じて韓国という国をすごく身近に感じるようになっていました。
ただそんなある日のこと、動画サイトで韓国人に対するヘイトスピーチの動画を偶然にも見てしまったんですね。それも紅白歌合戦で韓国のグループが歌っていたその時間にNHKホール前に来てヘイトスピーチをしていたという動画でした。
その動画を見たときに、色んな感情が混ざって怒りで体が震えるという経験をしました。
「なぜ同じ人間同士でこんな憎しみの表現が出るんだろうか」「韓国と日本の間に複雑な事情があるんだろうか」「好きなグループを馬鹿にされて悔しい」「年の最後くらいヘイト出すの我慢できひんのか」。
k-pop好きの僕にとってこの動画は衝撃的であったと同時に沸々と日韓関係への違和感や関心が湧いてきたものでもありました。もっと韓国という国を知りたい、韓国人と韓国語で実際に話をしてみたい。でも韓国語を学びたいと思っても学校の授業は英語だし、そこまで自分の進路に大きく「韓国」が関わることはありませんでした。
そして大学に入学後、英語教育を専攻して英語や教育のことを勉強するようになるんですけど、やっぱり中学2年生の時に感じたあの怒りの感情、そこから生まれた違和感や関心を忘れることができず。韓国への想いが溢れだした結果、一人で韓国社会の本を読むようになり、韓国語を勉強するようになりました。(あと単純にみんな英語しているし、みんなと違う言語を勉強したいと思ったのもありますが笑。)
そして大学4年生になって、韓国という国を自分の目で確かめに行きたいと思い休学して語学留学に行くことを決めました。
それが韓国に行くまでのざっくりとした経緯です。英語を学びに海外留学をする友達が多い中、多少不安はあったのですが蓋を開けてみると韓国に行くという選択肢を取って良かったなと思いますね。
2、実際行って何していたの?
さあ、お次。これもよく聞かれる質問です笑。
韓国で3カ月間何をしていたいのか。
実は僕の留学は交換留学ではなく私費の語学留学だったので余計に何をしているかわからないような状態だったのかなと思います。
まず僕はソウルにある韓国外国語大学というところの語学堂に通っていました。
語学堂とは韓国語を学ぶための語学学校のようなもので大学の附属であるのが一般的です。
ただこれが少し誤算で、、。
実際に行ってみると交換留学生でもない僕はキャンパス内で韓国の大学生と全く交流がなく、食堂も同じなんですが一人でいつも昼ごはんを食べていました笑。教室に行って韓国語の授業を受けて半日が終わりって感じで、ちょっと当初の期待とは違う学校生活となりました、、。交換留学生と語学留学生の扱いの差がありすぎて、何度も交換留学生に嫉妬していまうことに笑。留学の心残りになっていることの一つは留学先でどこで学ぶかということですかね。でも語学堂のクラスの友達はすごく親切で会うたびに声をかけてくれて、中国人の友達はことある事に中国のお菓子をくれたりして優しかったです。
もし仮にこれで一人暮らしをしていたら完全に気持ちがくじけていたと思います。
では留学期間中どこに暮らしていたいかというと、「ボーダレスハウス」という多国籍シェアハウスに住んでいました!
正直なところ、韓国の思い出の大半はここに詰まっています笑。
僕が住んでいたい時は、韓国人、在日コリアン、イギリス人、スウェーデン人、日本人の計5人~6人で一緒に生活をしていました。ちなみに家はソウルの中心から少し外れた駅から歩いて徒歩3分くらいのマンション。都会すぎることもなく、近くにスーパーや定食屋があって快適に過ごすことができました。
週末はみんなでソウルの中心街でお酒を飲んで、夜中の3時くらいにタクシーで帰ったのは最高の思い出です笑。国籍関係なくみんなで酒を飲むのが本当に楽しくて美味しかった。
どこ向いてんねん、おれ。
お互いがお互いの国に興味があったので素朴な疑問から話が広がったり、歴史的な出来事に対して自分はどう思っているのかの話まですることができました。
あと僕自身、韓国にきて右も左もわからないという状態だったので、ハウスメイトに助けてもらいまくりました。近くのスーパーを教えてくれたり、韓国語の通訳をしてくれたり、遊びの誘いをしてくださったり、本当に感謝しきれません、、。(一人暮らししてたらと思うと恐ろしい笑。)
留学生活を彩ってくれたシェアハウス、またあの生活に戻りたい、、。
そしてこのシェアハウス繋がりで、また縁が繋がっていくことに。
まず僕が韓国に来てすぐにある日韓交流のイベントに参加する機会がありました。
そこでは外国人労働の支援をしている韓国人男性と知り合いになり、そこから社会的なイベントに紹介してくれて、人との出会いの輪が広がっていきました。またもう一人、ソウル大学の大学院生の男性とも仲良くなって一緒にカフェで日本語を教えてもらったり、ご飯に行ったりもしました。これも全て縁と運だなーって感じたので、また詳しく次に書きます笑。
3、やっぱり韓国でも縁と運だった。
韓国の生活が始まった当初は正直辛いこともたくさんありました。まず韓国語が通じない笑。スーパーのレジで何か言われても愛想笑いするしかなかったり、食堂で間違ったものを注文してしまったり。そして当然なんですけど海外に行けば、日本でのコミュニティや友達とは会えなくなってイチから環境を作っていかなければならない。語学堂に行っても韓国の大学生と交流することもなく、大学の施設を使えるわけでもなく。このまま留学生活が終わってしまったらどうしようと最初は不安でした、、。
たださっき書いたように、奇跡的な出会いが韓国でたくさんあったんですよね。
一応、留学行く前はこんなイベントに行ってみたいとか、こんな生活を送りたいとか考えるんですけど、実際行ってみたらほとんど叶えることができず笑。でも意図しない出会いや人との繋がりから本当に自分の行動範囲も人の輪も広がっていた。
先ほどの外国人労働者の支援をしている韓国人の友人には本当にお世話になって、社会的マイノリティのデモ行進に誘ってくれたり、韓国の外国人労働者が集まるイベントにも招待してくれました。そこでまた韓国の大学の先生と話す機会が生まれたり、韓国の大学生と一緒に遊んだりすることもできました。
一人の力では絶対にできないこと。目の前にいる一人との出会いを大切にした結果、気づいたら人との縁が広がっていくこの感じ。
そういや日本でも同じだな、これって笑。
どこに行っても偶然に出会った人達と繋がりが深くなった結果、思いもよらない経験や学びを得ることがある。これは日本も韓国も同じだった。
今まで積み上げてきたものが、環境を変えたときに繋がった瞬間でもありました。
人生はご縁と運。これはどこでも大切にしていこう。
最後はでかでかと大好きなタッカンマリを。
てことで続きは②に書きます。
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