毎日の充実感を得るための話②お金に囚われず、楽しいかどうかに着目する

仕事や勉強など受動的な手段以外で自ら行動して能動的に毎日の充実感を得ていく話の続きですが、まず最初に言いたいのはお金のために何かを始めるんじゃなく、楽しむために何かを始めろということです。

例えば私の場合、前回で話した通りに読書やプログラミングを趣味にしていましたが、結局これはどちらもうまく行きませんでした。何故かというと、読書は「読書を楽しむこと」ではなく、「本を読んで得た知識で将来的に成功すること」を、プログラミングは「プログラミングで何かを作って楽しむこと」ではなく、「プログラミングの知識を身につけて時間にも場所にも人にも縛られない自由で楽な働き方をすること」を目標としていたからです。要するに「それをやってて楽しいかどうかを無視して、目標ではなく過程として趣味を選んでしまった」のが失敗だったと思います。

結果、読書は読んでいて楽しい本もあったのに、読んだ知識を活かさなきゃ、と固定観念に縛られてしまったがために読んでいて面白くもないような本を読んでつまらない時間を送ってしまったりしてしまいました。

プログラミングの方はもっと酷くて、正直AI製作だとかAR・VRだとか、もっと作ってて楽しい物はあったと思うのですが、目標の「時間にも場所にも人にも縛られない働き方」を優先し、それに適した言語であるPHPやRubyを勉強した結果、作ってても全く面白みを感じられないWebサイトを作ることになってしまいました。当然勉強のモチベーションは上がらず、1円も稼げないままプログラミングから脱落してしまいました。

そんな紆余曲折を経て、現在は小説執筆が自分の趣味として定着しています。同じアウトプット系のプログラミングに比べると社会的な需要は限りなく低いですが、それでもプログラミングに比べるとずっと自分にしかできない、作れない作品を作っている、という感覚はあって(それが世間に認められるかは別として)、やることをやってるな、という気分にはなれます。

勿論生きていく上でお金は必要です。ですが、お金のために生きる、という生き方はしないようにした方が賢明です。あまり良くない考え方かもしれませんが、最悪お金が無くて20代や30代と言った若い頃に死ぬことになったとしても、それを死ぬまで続けて楽しく生きられるならそれでいい、という生きがいを見つけるのがいいかもしれません(実際に自分は小説執筆をいつまでも続けられるならそれでいい、と考えています。小説ではなく絵の分野になりますが、ゴッホも絵が評価されるようになったのは死後になってからですし、芸術というのはそういうものなんだろうな、と思っています)

ここからは趣味ではなく働き方、ひいては生き方の話になりますが、実際小説一本で稼げるような人なんて本当に一握りでしかないと思いますし、大抵の人はバイトのように安定して収入が稼げる方法と両立しながら小説を書いているものと思います。文学史や美術史を勉強してみると、若くして自殺した作家や芸術家も一定数いますが、彼らもまた好きなことだけして自由に生きられないのなら死ぬ、というような考えを持っていた方達なのではないのでしょうか...

とはいえ、多くの人にとって死とは最大の恐怖であり、どんな恐怖よりも耐えがたいものであると言う人は多いと思います(というか多くないと社会が崩壊するので困るのですが)。そういった人達は決して芸術や文学、音楽と行った不安定な道を進むことなく、学校などで教えられた決められたレールの上を沿って、普通に会社員として社会の一員として暮らしていくのだと思います。

勿論、レールの上を沿って生きる人生を批判するつもりはありません。むしろそれは社会的動物である人間の生き方に則している生き方です。社会の中で人と適度に付き合いつつ、皆がやりたくないと思うことをやることによって社会に貢献し、お金を貰う。お金を安定して貰えるのも会社員のいい点で、特に養うべき家族がいる場合は、余程のことが無い限りは収入が安定している会社員の道を選んだ方が良いと思います。

ですが、そういった普通に仕事をして社会に貢献することが難しい、もしくはそういった貢献よりも自分なりの価値観や考えを文章、芸術、音楽にして残す方が社会への貢献になる、と思う方は、このような生き方に挑戦してみるのも良いのではないのでしょうか。

最後に今回のテーマと関連する言葉で、特に印象に残ったものを2つ紹介します。まずは丁度2年前、かつてブレイク芸人として名を馳せながらも現在はキャンプ系Youtuberとして転身したヒロシさんが、お嬢様芸人であるたかまつななさんとの対談をした際に以下のような言葉が出ています。

得意なことでもダメで、お金のためでもダメ。好きなことじゃないと続かない

ブレイク時には月4000万円を稼いでいたにも関わらず、今のYoutuberとしての生活の方がずっと楽しい、との発言も。それだけのお金と比べても今の生活の方が楽しいと思えるのですから、説得力のある発言ですよね。

もう一つは、プレジデントオンラインの記事「誰も話せる相手がいない」日本の既婚男性が次々と発症する"見えない病"の正体」よりこの一節。

「作ろうと思って友達はできるものではない」し、「趣味にしようと思って始めたことが趣味に昇華することなんてない」からです。友達はいつの間にか友達になっているものだし、趣味はいつのまにか泥沼(いい意味で)にハマっているものです。

正直自分にとっての読書やプログラミングは教養目的だったため、完全に趣味と言うよりは勉強になってしまっていたと思います。それよりも小説執筆...いや小説を書いてすらいない段階の、単なる物語の妄想は、興味深いテーマを目にしたとき、アニメを見たりして「自分だったらこういう物語にするな」と思ったとき、そして何でも無い暇をもてあましている時...ついついしてしまいます。

妄想は小説や絵という他の人に見える形にすらしていないので自分にしか見えない完全な自己満足ですし、全く生産性のない趣味なのですが、それが楽しい時間を過ごす一種の生きがいになってしまっているのだから仕方ないのだと思っています。ただそれでも折角沢山の妄想ができて、沢山の話や考えが生み出せるのだから、こうして形にして他の人にこういう考え方もあるんだ、という形として残したいと思って、私は文章を書いています。

何も人生の役に立ったり交友関係を作るきっかけになったり生産性があったり...そんな前提条件がなければ趣味にならないわけではありません。でもそれでも何か趣味をするからには何かの役に立てたい、という方にヒントを差し上げます。

私の場合であれば物語の妄想のような何の役にも立たなさそうな趣味でも、それを小説執筆やブログといった趣味と合わせて形にすることで他人にそういった考え方もあるんだ、と知ってもらう、というように昇華させることができます。あなたにも自分が趣味と思っていないだけで、普段からついついしてしまっている趣味があるかもしれません。そういった趣味を他の趣味とつなぎ合わせてみると新たな発見ができるかもしれませんよ。

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