なぜ独立してボードゲーム開発会社を始めたのか①
『ドラゴンクエスト2 悪霊の神々』の、仲間が3人集まるまでのフィールド曲、「遥かなる旅路」が好きで、いまも聴きながらこのテキストを書いています。
未知の荒野を歩く不安と、背負った大きな使命、それを果たそうとする強い意志、そして寂寥――。そうしたものが見事に表現されているように思います。
『クロノトリガー』の「風の憧憬」や「時の回廊」も非常に好きなのですが……『ドラクエ2』の「遥かなる旅路」は、抜けて好きな曲です。より若い時期に聴いたせいで、印象の残り方が違うのかもしれませんね。
さて、なぜ刈谷が独立してゲーム開発会社を始めたのか――ですが、あらかじめお断りしておきますと、ディープな内容はここでは書けません(笑)。当然簡単な決断ではなかったので、「こういう理由です」とシンプルに言えるものでもありませんし。ディープな内容を期待されていた方がいたとすれば申し訳ありませんが……そんな話を世界に発信するのは障りがあるでしょう(笑)。
ひとつ言えるのは、アークライト社――某A社とかにしてもいいですが、隠す意味もあまりないですし(笑)、相手が困ることを書く気もないのでそのまま表記します――で刈谷ができることは、大体もうやりきったかなという思いがあったということですね。
別にこれはアークライト社が秘密にしていることでもないので書いても問題ないと思うのですが、アークライト社の本業はトレーディングカードゲームの小売業、ホビーステーションの業務なんですね。ホビーステーションは全国に30以上のリアル店舗とオンラインストアを構える、日本有数のトレーディングカードショップチェーンで、非常に堅実にビジネスを伸長させています。
ボードゲームという枠組みで見たとき、ゲームマーケットの運営をしていることもあって、アークライト社は格別の存在感を得ているように思いますが、アークライト社にとってボードゲーム事業は、実のところ会社の主体ではありません。もちろんどうでもいい事業と言っているわけではないですよ(笑)。あくまで比較の問題です。
ただ、その違いが決定的な判断になることも、当然ながら存在します。
アークライト社の経営陣が、そうした判断を迫られた際、ホビーステーション事業を優先するのは当然のことです。わたしがアークライト社の経営陣であってもそうするでしょう。
しかしわたしはボードゲーム事業の人間でしたので、やはりボードゲームを中心に考えたい。
わたしがボードゲーム事業のいちスタッフであったときは、あまり考えなくてよかったことも、年々考えねばならない比重が増えていきます。
結局のところは、そこですよね。
このままアークライト社に残って、多少会社の方針に不満を持つことがあったとしても(会社の方針にまったく不満のない社員はそう多くないでしょう)、サラリーマンとしてサラリーをいただいて穏やかに暮らすか。
アークライト社でやりたいことは大体やらせてもらえたし、残りの人生は自分が好きなように生きるか。
その2つの道を煩悶自答して、後者を選んだと。
簡単に言えばそういうことになります。
それなりによくある話ですね(笑)。
もちろん葛藤は非常に大きなものがありました。
自分なりに、アークライト社での業務には本当に、妥協なく心血を注いできたつもりですので。そうした事業を置いて独立するのは、身を切られるような辛さがありました。
もっとも悩んだのは、ゲームマーケットから離れることでした。不遜ながら、「自分が離れたらゲームマーケットはどうなってしまうんだろう」と考えることも多く、ずっと決断できずにいました。
ただまあこれも、「結局は、自分の人生だしな」という思いが最終的な決断の後押しをしてくれました。後日「ゲームマーケットのために自分の人生を犠牲にした」なんて得意げに語るジジイになったところで、めんどくさい老害でしかありませんし(笑)。
また、わたしが離れたからといって、ゲームマーケットがなくなったりすることもないでしょう。もちろんわたしが責任を取っていたころのゲームマーケットとは否応なく変質してしまうでしょうが、それは草場さんからアークライト社が引き継いだ際もそうだったわけで。
わたしなりに、草場さんたち創設メンバーの思いを継いでやらせていただいたつもりでしたが、どうしてもわたしの色は出てしまいます。
ですのでゲームマーケットを引き継いだ方が、ボードゲーム業界の発展を願って運営してくだされば、ゲームマーケットは今後も発展していくのだと思います。わたしのやり方を継続する必要は、必ずしもありません。そこに思い至ると、少し心が軽くなりました。
もうひとつ辛かったのは、言うまでもなくわたしが手掛けさせていただいた多くのタイトルを、アークライト社に残していくことでした。
それぞれのタイトルすべて、作者さんやイラストレーターさん、グラフィックデザイナーさんと心血を注いで作り上げた作品ばかりですので、そうした多くのタイトルと縁が切れてしまうのは(本当の意味での縁は切れませんが、形として)、本当に強い決断が必要でした。
それでも、どうしても独立する必要があった。
幼稚な結論になりますが、最終的には「自分が好きなようにやりたい」という思いの方が強かったからです(笑)。
あと、わたしがアークライト社でボードゲーム事業に関わることになった2013年に立てた目標は、「日本にボードゲーム文化を広め、定着させたい」ということでした。
それから10年が経ち、当時とは比べ物にならないくらいボードゲーム文化は日本において発展し、定着しました。
我々も頑張ったと思いますが、ホビージャパンさん、すごろくやさん、バネストさん、グループSNEさん、オインクさん、ジェリカフェさん、テンデイズさんなどなどなどなど、本当に多くの企業さんや個人の方々の継続的な尽力のおかげで、いま日本のボードゲーム文化は、世界的に見ても非常にユニークな形で発展していると思います。
またそうした流れの中で、うちばこやさんですとか、遊ゲームズさん、Rulemakerさんなど、クラウドファンディングで世界に存在感を示す新興メーカーさんも次々現れています。わたしが把握できていないだけで、他にも活躍中のメーカーさんはおられると思いますし、いままさに素晴らしい企画を仕込んでいる最中の方も多いことでしょう。
わたしが立てた目標は、もうすでに達成されており、今後も皆さんが力強く発展していってくださることは間違いありません。
であるならば、わたし自身は肩ひじ張るのをやめて(笑)、あとは好きに生きようぜと思ったというのも、また偽らざる気持ちです。
……おっと、いまようやく気づきましたが、本稿のタイトルは「なぜ独立してボードゲーム開発会社を始めたのか」でしたね。
「なぜ辞めたのか」は大体語り終えましたが、「なぜボードゲーム開発会社を始めたのか」を語っていませんでした。
そこを語らないと、冒頭で『ドラゴンクエスト2』のフィールド曲について語った理由も散らかってしまう(笑)。
ですが分量も多くなってしまったので、タイトルに①と付けて、続きは次回に回すことにします。
次回(10/4更新予定)、2週間後のわたしがきれいにオチを回収できることを期待して(笑)。
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