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体外受精を経て無事出産!!(前編)

日々慣れない育児の中で、
なかなか時間が取れず少し遅れた記録ではあるが、


7月14日に、無事2860gの男の子を出産しました!!

順を追って書いて行こうと思うので、
少し長くなるが、是非ともお付き合いくださいmm


浮かれてちゃっかりnewbornフォトも撮ってみた(笑)
この子にとって人生一度きりだしね、後悔はない。

初めて我が子は世界一番の意味を理解した!


出産は私の強い要望にて
無痛分娩(和痛)だったのだが、
結局は陣痛に6時間ほど耐え、
産後のお股の傷の激痛は未だに鮮明に脳裏に刻まれてるし、
その上に1900ccも出血し、止血するのに3時間もかかったお産。
(産むのは10分だったはず)

なかなか壮絶だったと振り返るも、
これを麻酔なしにやってのける世の中の全女性に
ただただ尊敬の意と共に、
皆さんを相当なやべーやつと密かに思うことにした私^^;

2022年11月に夢クリニックで戻してもらった受精卵で生まれてきてくれた我が子。手に抱いてると未だに不思議な感覚が抜けない。人様の手によって与えてもらったこの命が着実と育っていく感覚、言葉じゃ言い表せれないほど尊い…


これにて一回目の不妊治療が幕を閉じることになったので、
総体的に振り返ってみるとしよう。

●妊娠初期


幸い吐きづわりはなく、10日ほどの会議を飛ばすほどの眠気にやられた時期があり、会議飛ばす→自己嫌悪に陥る→凹む→さらに寝込む→また飛ばすという悪循環に陥ったりしていたが、それ以外は特段目立った症状はなかった。
今思えば、この初期が快適だったことが今回の妊娠出産一連にトラウマを抱くことなく、また第二子へと希望を持てている要だったのではないかと思う。
そしてこの時はまだ体重は管理できていた。

●妊娠中期


神様ありがとう!と言いたいぐらい快適だった中期。
旅行にも行けたし、まだそこまで体重くなかったので会社も快適に行けたし、仕事もそれなりに捗った。

この時ぐらいから食欲お化けへと化し、いわゆる食べづわりの始まり。
気づけば定食1人前では物足りず、大盛りを食べるように…
やがて大盛りも足りず、ご飯をお代わりするように…
そして必ず食後のデザートまでがセットというルーチンに。
言わずもがなそんな生活をしていたらあっという間に+8キロのわがままボディに。後期で摂生すれば良いと安易な気持ちをを抱いたこの頃。


●妊娠後期


私にとって、とてもとても長く感じた妊娠後期。
そして一番辛かったのはこの時期。
日に日に重くなっていくお腹の関係でいよいよ抱き枕なしでは寝れなくなり、
夜中の頻尿頻度は1回から2-3回への増え、慢性的な睡眠不足が始まった。
1週間ほど妊娠初期にもやってきた眠すぎて何もできない週間もagain。
そして何より手足が豚足のように浮腫み、歩くだけでも痛いし、手はずっとビリビリと痺れるようになった。もちろん結婚指輪なんて入らないし、
持っている全靴履けなくなり、サイズを上げるも履けず、しまいには2サイズあげてようやく踵まで入るように。

もちろん中期で培った巨大化した胃袋が戻る訳もなく、
ここに来て水を飲んでも体重増えるの意味を理解することとなる。
気づけば臨月に突入する時で既に+14キロ。

時々旦那に激写される私の写真や
会いに来てくれた友人と撮った集合写真をみると、
毎回即削除したくなる病に苛まれていたこの頃。
見るに堪えない姿とはこのこと…。

加えて身体が重くて重くて、
足もパンパンで歩くだけで痛く、
息切れ、動悸、肌荒れ。
激しすぎる胎動による不調など…
オンパレードだったこの頃。
本当に辛かった…気づけば出産への恐怖も吹き飛ぶほど、
毎日早く出てきてくれと37週ごろから願っていた。


●出産当日

そしていよいよやってきたXデー!!!

陣痛気づけなかったらどうしよう。とか
先に破水したらどうしよう。とか
事前にあれやこれ考えていたが、

そんな心配を台風が攫うが如く
突然夢の中から瞬殺召喚された激痛で目覚める早朝6時。
悶え苦しむもまだこれが陣痛と確信しなかった馬鹿な私は、
しばらく堪えてみることにしたが、
とても堪えられる痛みではなく、その後トイレに2時間籠る。
その間ずっと痛みが来る度に降り龍…
アプリで見ると、いきなり痛みの感覚は5分!
(え、10分から始まって、徐々に〜みたいな話はどこ行ったの?)

朝8時半になり、ようやく病院に電話。
すぐ来ていいよとの許しが出たので、せっかく登録したんだしということで陣痛タクシーに。家から5分もしない病院へわざわざ陣痛タクシー^^;
フロントで看護師さんが既に待機してくれていて、すぐさまLDRルームへ誘われる。この間もひたすら陣痛に耐えながら、内診して2cmだと。
この痛みで2cmしか開いてないことへの絶望の中、湯船に浸かることを勧められ、
病院で湯船に入るという違和感と、病院にそういう設備があることへの驚き。
そして私は内心全くそんなことしたくないし、なんなら一歩ももう動きたくない。
けど、のちにこの行為が実に陣痛を緩和させてくれた大事な過程だったと気づくのだ。

湯船あとはなんと4cmへ進歩!しかしまだ麻酔までもう少しだ。
痛みに耐えながら歩いたり、スクワットしたり。麻酔打つ2時間前から絶食とのことで、お昼0時ちょうどぐらいにおにぎりを1個流し込む。つまり麻酔開始は14時ということになる。それまでのの間ひたすら5分間隔でくる陣痛に耐える。この時の痛みは未だにまだ記憶に新しい。。。

そしてついに麻酔投入!!!
脊髄の間?から入れる麻酔自体に恐怖心があったが、
この作業自体は全く痛みがなくとても安心したと同時に、
全身から痛みが嘘のように引いていき、一気に天国へ。
さっきまでの痛みはなんだったのかと。。。そして産気がやや遠のく。ここからは長期戦だと伝えられるも、携帯を見る気にもなれず、寝れもせず、
ただただモニターを見つめるばかりで時々やってくる内診を待つ。
やがて子宮口がMAXになった瞬間、まだ頭が降りてないので、もう少しなんて言われてる側から、急に赤ちゃんの心拍が半分に。

一気に病室に緊張感が走り、看護師さん、助産婦さん、お医者さんが総勢8人ぐらい入ってきて、慌ただしくあれよこれと指示を出してくる。この時正直帝王切開を覚悟した。が、幸いにも頭が降りてきたみたいで、「吸引します」の一言と共にいきむよう指示される。麻酔が効いてるのでいきむがよくわからない。とりあえず頭を上げて臍を見ながら精一杯のいきむ風に意識を全集中。多分5回ぐらいだろうか?あっという間に股間から赤ちゃんが取り上げられる。と、尊い。。。なんと尊いのだ!!!

母になった瞬間だった。


取り上げられた赤ちゃんを見て、
立ち会いしてくれた夫と同時に込み上がる涙。
すると次の瞬間に二人で同時に「あ。二重だ」と声を漏らす。
そして貴重な初めての3人での家族写真タイム。

何もかもが慌ただしく過ぎていき、
放心でしばらくぼーっとしてしまう。

まさかその後止血するのに3時間もかかるとは。。。
輸血一歩手前まで意識がギリギリの状態で、この日は集中治療室へ入れられてしまった。我が子に会えるのはもう少し先だ。

(後編へつづく)



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