途方もないパッとしない日々と東京はちょっと寂しい話
毎日何かを継続することって死ぬほど難しい。
たとえば、歯を磨く、ご飯を食べる、お風呂に入るということすらわたしは毎日しないことがある。汚い。仕事もそうだし、ゲームも毎日はしない。毎日してることといえばYouTubeを見るとか、それくらいのこと。トイレとかはあれは生理現象だからカウントしない。
毎日していることってみんなあるのかな?本当に毎日すること。
日記を毎日書いてる人とかいる。あれ凄くないか?
毎日書くことなんかない。基本的に何もない毎日が4/5くらい続いてたまにチョロッとイベントが起こる。それを書くのはわかるけど、毎日書く人すごい。何もない中で何か見つけて書き出せるのはとんでもない才能。
でも、何もない毎日を綴っているものをみると凄く安心する。例えば芸能人とか、友人とか、人のあれこれが羨ましくなってしまう時、その人の毎日はさぞ輝かしくて楽しくて明るいのだと思うけど、あ、この人も普通だ。と知る時の嬉しさというか…。どんな人でも基本はパッとしない日々で、黙々と仕事をしてコンビニのご飯を食べてぼんやりしてしまう日々で、深夜まで真っ暗な布団の中でYouTubeをみたり、お昼すぎに起きたりしてしまう。その中で時々朝起きてパン屋に行ったり、海に行ったり好きな人と会ったり、ライブに行ったり、旅行に行ったり、大きな仕事をしたりする。その一回一回の間には途方もない冴えない日々がある。日常の中で幸せを見つけることが大切なのはいうまでもないとして、そうはいっても、やっぱりそんなに毎日幸せを感じるのは難しい。だからふととした時の幸せが沁みるのだね〜。
そう思うと今実家でぼんやりしているわたしは幸せなんだな〜とゴロゴロしながら考える。実家は本当に居心地がいい。
話は変わり、東京にいる時のふとした時にある途方もない寂しさはなんだろう。
人が多くても、少なくても、夜でも朝でも。あのなんともいえない寂しさはなんだろう。誰も私に興味がないからだろうか?知ってる人がいないから?コミュニティとかないから?東京の至る所からあー、寂しいなーってなる匂いがする。実際は匂いなんてしないんだけど、胸がシーンとするような、あの感じは本当になんなのだろう。夜に窓を開けて揺れるカーテンを見ている時とかのどうしようもない気持ちは何よ。
いつでも寂しいわけじゃないのだけれど、東京を歌う曲がどことなくブルーなのもそういう理由からだろうか。
故郷を思ってるとかでもないのだけれど、本当に独特。
ずっと東京で生きていたらそんなこと思わないのかな?それはやっぱり故郷との乖離を感じているから悲しいのかな。
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