15周年物語 7

ハルです

いよいよ、この週末です。プレゼンも届き、準備物も揃いつつあります。こんなに頑張って講演会を企画する(運営側になる)のは久しぶりですね〜。伺う方ばかりなのでねえ。

緊張してきました。ふっと考えると、泣けてきちゃうんですよね。よくやってきたなあって、思って(まあ、五年ごとに自分を褒める・笑)

もう、新聞記事がでましたので、どのようなことを話したのかは、おわかりになったと思います。

神戸新聞

https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/201905/sp/0012321488.shtml


丹波新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00010001-tanba-l28


その中で、残しておきたいのが、今日のメルマガに書いたこと。5年後20周年があるとするなら、どうなっているかわからないから。詳しく今の状況を書いておきます。

10周年と15周年の間の変化は、少子高齢化で「人手不足」に加速がついたことです。それは、福祉ばかりでなく、教育にも広がってきています。派遣やパートが増え、本職は兼任などで、一人当たりの負担が増えている。

それまでのマンパワーでの解決は、これからは不可能になっていくことでしょう。「職人技」「名人芸」と言われるものが、賞賛される業界でしたが、そんな人は一握りになりますよ。そもそも、そうなってはいけないと、私は思っていました。資格や技量がなくても、そばにいれるようにならなくちゃ。

2020年からは、人手不足はもっと加速がつくそうです。それから、オリンピックが終わった頃、急激な地価の下落があり、景気は落ち込むそうです(さあどうなのかは、20周年の時に振り返りますね)

福祉が人出不足なのは、少子高齢化もありますが、給与が低いことがあげられます。そもそもの福祉への予算が降りてこないのです。それは、あちこち起こっている予算削減を見てもわかると思います。

これから海外からの労働者がやってくると言われていますが、昔ほど、日本には魅力がない。以前は、諸外国より賃金が高いことが魅力の一つだったからです。それが、抑えられているのだから、よその国行きますよ。

賃金は抑えられているのに、じわじわ物価は上がっています。その為、どんどん子供にも生活にも、お金をかけられないようになってきています。昔は、旦那さんだけが働くことで、okだった世帯が、共働きじゃないと食べられなくなってきた。保育・教育、、、すごくお金がかかる国だもの(でも、私は、保育の無償化よりも、保育士の待遇改善を願いますね。そもそもの人がいないんだって!)。

その中で、おめめどうは、5年前からユーザー数や売り上げが倍増しているのです。理由は、わかりますよね。その「人出不足」と「予算削減」です。そうなっていく中で、おめめどうグッズが「真に」役にたっているからです。

私は商売人の娘だったので、経済的なことに関心がありました。ダダさんが障害児とわかり、育てるうちに、自分が最初にイメージしていたような、かつての主流「いずれ入所施設に」みたいなことは、これからの日本では難しんだなとわかってきました。

国は、大きな施設は作らない方針で、地域にある事業所に通いながら、できたら親から離れてGHのようなところで、暮らすというタイプのものになるんだなと。ギリギリまでは親と暮らす。

でも、そういう小粒の施設が増えるとなると、それだけ人がいるようになるんですよ。でも、日本は世界にも稀に見る少子高齢化で高齢者の割合が極端に多い国です。そのため、若い障害児者に関わる人は減っていく事になるだろうと思いました。お年寄りに手がかかるからです。

だから、いずれは、高齢者施設と障害者施設は一緒になって、大きなビレッジみたいな感じで集められ、少人数で介護・支援をするようになるんじゃないかなとイメージしています。

それは、まだまだ先のこととはいえ、出来るだけ長く、楽に一緒に暮らしていくことが必要になっていくんです。だから、家での手立てがいる。じゃないと親も家族も暮らしにくいですから(自分の自己実現もあるのに)。


予算軸は、物理的な分離ができなくても、精神的な分離ができていくので、とても大事なのです。

そして、外でもマンパワーではなく、できるだけ人出が少なくてやれるようにすることがいる。それにも手立てがいる。事業所にしても、ヘルパーさんにしてもです。対応に困った人は敬遠もされるし(断られることもあるんですよ)。

もちろん、学校へ行っている間も、本人がわかって参加する、自分の居場所と安心して落ち着いて過ごすためには、手立ているでしょ(笑)人に頼っていたら、人がいなくなったときに、どうするんです?(私は再び三田市であったような隔離という方法論がでてくるように思っています。怖いです)

しかも、特別なものではなく、高価なものではなく。ええ、コストパフォーマンスのいいもので、支援側が誰でも簡単にできるものが。それが、おめめどうグッズです。自分がそういうのを想像して作ってきましたし、実際、多くの声を聞くと、その通りになっているのだなと実感します。

知的障害のある場合は、上記のようなイメージです。

知的障害がないときは、大きくなると「自分で自分自身を手立てをしていく」ことがいるんです。今、大人になった発達障害にクローズアップされてきて、穏やかに暮らしておられる方と、そうでない方の差は、「自分自身が、こうしたら大丈夫、できるというのを知っているか知らないか」ですもの。

それが、カレンダー・スケジュールに代表される時間軸支援であり、自分が主人公で生きていくための選択活動であり、筆談に代表される見えるコムなのです。15周年に中邑先生に話してもらうような、支援技術を知っておくこと、実際囲まれること。

それが、そんなにお金がかからないで出来るようになっておくこと。これが、高機能のお子さんが大人になった時に、とても大事な「宝」になるのです。

理解者がいればいいという話でもないんですよ(私は、「支援より理解がほしい」というキャッチは、違うと思っています。だって、支援されていないと理解されていると、本人は思いませんよ(想像するのが苦手な障害なのに、何言ってるのって、思います)。

そのことに、うっすらと気がついた方が、たくさんおめめどうに、こられるようになったと私は思っています。でも、こういうことを、わかる人は「福祉的利権」の中や「その年だけの学校教育」の中にはいない。少数派です。

でも私は、こっちの道しかないように思っています。

だから、負けないで欲しいんです。その人たちがなんと言おうと。


「手厚いケア」って、どこにあるんですか?という時代になりますよ。ってか、もうなっているようにも思います。


続く