手立てが身につかず大人になるなんて、思っただけで怖い(2017年7月3日のメルマガ)


★こんにちは、ハルヤンネです!★

新しい月がまわってきました。今月は夏休みがやってくるから、ワクワクもし、やれやれもありあしますね。でも、私たちの時のようにデイがまったくないとかではないから、楽になった方も多いでしょう。

でも、成人期にはデイがないから、事業所だと早くには帰ってくるけれども、慣れいうかね、家での過ごし方があれば、大丈夫ですよ(長期の休みがないし)。何回も言いますが、成人期には資源を活用しながら、家族がメインの暮らしになるんですよ。

ただよく聞くのは、大きくなるにつれ行動障害がでて、家で見られなくなったという話(昨日も知り合いのサイトで読みました)。施設の入所を検討するも、もう入所施設から地域移行する時代なものですから、受け皿がないんですよね。辛口で申し訳ないけれども、そう、親の思い通りの未来がやってくるというわけではなさそうです(今後社会福祉に税金が投入されたら別でしょうが)。

じゃあ在宅なら、母子分離なんて意味ないじゃんではなく、一緒に暮らしながらも、親から、精神的に金銭的に自立する必要があるってことです。それが大事なんです。

『しくじり思春記』の第1校正が終わりました。これが一番大変。第2第3校正は文字直しだけをしたらいいから、文章をいじれるのは、今回までなのです(もちろん、気になれば直せますが)。いろいろ文章を足して、まあまあいいのができたと思います。終えてみて、思ったのは、この本で「行動障害を起こす人が減ったらいいな」でした。

今までは、どうしても「行動障害と付き合いながら」という感じが否めなかった。だって、根本的なところで支えてもらっていないから。「3つの基本的なない」が、カレンダーやスケジュールがない、選択活動が身についていない、見えるコムによる伝えあおう・わかりあおうになっていないからです。「4つめのプラスαのない」が、お財布がないですね。

私は、『息子に、もしそれらが身についていないとなると、成人期、いったいどんな暮らしをしていただろう?』と想像すると怖いです。でも、今の年長の方の多くは「ない」んですよ、稀に、されている方がいらっしゃる程度のもので。なので、『しくじり思春記』がでることで、これからの人からでも、行動障害を起こす人が減っていくのであれば、書いたかいがあったというものです。

さすがに、本を作るのは、鶴の恩返しのごとく、自分の羽を抜きながらの機織り作業なので、週始めなのに、体はクタクタです。恥ずかしさや批判の怖さや、また祈りに近いものまで、複雑な心をしていますが、前に進んでいくしかありません。

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