「人はそれぞれそのままであっていいという人権教育」(2015年5月26日のメルマガ)


★こんにちは、ハルヤンネです! ★

昨日の朝イチという番組で、栗原類さんが、自分は発達障害だとカミングアウトされていましたね。アメリカにいるときはそう感じなかったけれども、日本に帰ってきたら、変わった言動をするといじられることもあったそうです。

芸能人の方には、発達障害の方は多いように思います。芸も才能。そこが突出して認められるいうことは、あまりバランスよくあれこれできるわけではないと感じられるからです。私の身近にいる「芸術家タイプ」もそうですよ。社会的に上手くやれたら、そう絵を描く、音楽を奏でる、なにかに熱中するということをすることもないかもしれない。

番組を見て「栗原くん、君もそうなのか。僕もなんだよ」と思っている芸能人や知識人もいるんじゃないかと思いました。そうして、発達障害がどこにでもいる人になっていけば、いいなと感じます。

栗原くんは「人に合わせられない」とことがあると言われていました。「協調性」というものですが、私にも「ない」ので、よくわかります。でも、それは発達障害だからではなく、「人に合わせていたら、自分のしたいことができない」から。自分がしたいことがある、思うことがある・・でも、それが、マジョリティ(多数派)とは違うなら、考え方は二つ。そのマジョリティに合わせてしないでおく、あるいは、合うように変更するか、そのマジョリティには関係なく、どんどんしていくかなのです。

私は、後者なので「人に合わせられない」ことは、日常的に経験しています。だから、息子が私にも合わせないことも、そんなものだなと思えるのかもしれません。彼を「変えよう」と思わなかった。

栗原くんの発言には、小さい頃にわかって、周囲に理解されたら、暮らしやすくなるとありました。けれども、それを早期診断・早期療育に関連づけるのはどうかと思います。親御さんはじめ周囲が理解してくれた、居心地良さが今の類くんを作っていったなら、子供の時に見つけられて、「合わせることができるように訓練」することよりも、周囲が「そういう人もいるんだよ。どうして付き合って行ったらいいのか」を学ぶことの方が、何倍も大事だってことです。

どうしても診断・療育は、その本人を変えようとしていきます。障害受容ができないうちの親は適応してほしいから、躍起になり、目が三角になってしまう。そんな親に子育てされることが、本人にとって大変なのです。

で、あれば、私は、その目が三角の親に、それから、通う園や学校の生徒先生保護者に、「発達障害を知る」「人はそれぞれそのままであっていいという人権教育」をすることこそ必要だと思う。そうすることで、親や周囲の目がまあるくなれば、本人は暮らしやすくなりますよ。その暮らしやすさこそ、適応していくベースなのですから。

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