「本人の権利」「本人主張」抜きにした支援では根本的な解決はない(2013年10月15日のメルマガ)

★こんにちは、ハルヤンネです!★

新しい月がまわってきました。三連休いかがお過ごしでしたか?昨日は、さすがに疲れたのか、昼からずっと横になっていました。珍しいなあ。とはいえ、昼寝ができるようになったんだなあと、それも感無量。息子がいるときには、昼寝なんて、よ~せんかったからです。楽になってきたのが、すごくよくわかります。

(強度)行動障害の話題を文章で読んで、「刺激の少ない構造化」とか「わかりやすいスケジュール」というのが出てきました。そりゃ、そうやろうなあ、それまで、構造化やスケジュールをしてもらっていない人なら、まずは、そこからでしょう。

でも、そういうのしてきたのに、行動障害が生まれてきたとしたら、より構造化、よりスケジュールでは解決できないものがそこにあるということです。

息子は高等部の頃から、行動障害が見られるようになり、それで、原因の一つである高等部を辞めることになりました。しばらくは落ち着いていましたが、本人への支援は代わりがなかったので、少しすると、また、続出。それで、入院を経て、暮らしそのものを変えていきます。

今は、日常的にみられる行動障害はありません。それはどうしてかというと、スケジュールを自分で作ること、予算軸を持つこと、本人が言うてくるまで待ち、自発から始まったことの結果を、本人が後始末をするが自然の流れ(自己責任のサイクルにのる)になったことなどが挙げられます。

それらのどれ一つ抜けても、立ち直ることはむつかしかっただろうと思います。だから、今、論文などで、「構造化」「スケジュール」「自立課題」などの言葉を見ても、自分がそこに支援に入るとしたら、違うことをするだろうと思ってみています。それは、もちろん、当事者の状態ぞれぞれですが、「本人の権利」「本人主張」抜きにした支援では根本的な解決はないと思うからです。

行動障害のやっかいなところは、行動障害を起こしていた記憶が本人に残るということです。そのため、不快な時にはそのことを繰り返し言う、また、不適切な粗暴な行動が習慣的になってしまうということもあります。そういう様子をみるにつれ、起こさせないことがとても大事なことなのだとわかります。

起こってから治すより、起こさせないでおく方が、本人も、それからそばにるものも楽です。そして、行動障害が起こるのは、100%支援のミスです。

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