なくてもできるようにではなく、いつもあるようにしていくことが、障害支援(2019年6月1日のメルマガ)
★こんにちは、ハルヤンネです!★
新しい月がまわってきました。6月はお話に販売に、腕がなるなり法隆寺!5月は全くそっちのけでしたので、持ち直すためにも、頑張らねば。昨日、かわけん(川田健太郎)さんから、15周年のアルバムをいただき、ブログにアップしました。ようやくどんな風に見えていて、みなさんが、どんな顔をされていたのかを知ることができました。改めて、すごい会だったなあと感動しました。ありがとうございました。
忙しい5月中もダダさんは、お休みをすることもなく事業所へショートステイへ。超苦手だったはずの、病院、歯医者、散髪も落ち着いていき、自分で考えてお金を貯めて、買い物やら旅行やらを楽しんでいました(いつものように)。もちろん付き添いはありますが、余計な介入や声かけなんかをしなくてもいい、自分の活動としてこなしていく様子を見ると、ああやってきてよかったなあと思います。
療育に通ったり、家庭内療育とかもしないで、ただ、彼の生活の中で「いつも手立てがあるようにしておく」このことが今につながっているのです。私はもう「もし、なかったら」とは考えません。「なくてもできるように」ではなく、「これからも社会にあるようにしていく」、それこそが、私の「障害支援」なものですから、そちらを目指します。でもね「なくてもできるように」とやってきた人と、「あるようにしていく」としてきた人とでは、圧倒的に、後者の方が暮らしやすい、これは、もう結果がでていることなのです。知らない人がいつまでも「なくてもできるように」と言っているだけ。
「あるようにしていく」ということは、その人を理解するがベースにあるってこと。自閉症の特性を理解しているから、視覚的な支援をするんですもの。ということは、「理解されて育つ」(本人からすると理解されていると実感しながら育つ)ということでもあるんです。「なくてもできるように」と言う方は、その人の特性を理解しない、障害がよくわかっていないわけですから、つまり「理解されないで育つ」(わかってもらっている実感がないまま育つ)んですよね。それが、どんな結果を生むかは、もう、昨日のメルマガに書いたように、「そのままを認められない辛さ」が物語っていると思います。
今は、災害への備えも、行政をあてにせず自助、そして、老後でさえ、年金をあてにせず自助と言われてしまう時代です。障害支援も、だれかになんとかしてもらうのではなく、「自助」になるはずだと見越してやってきましたが、それは、まさしくビンゴ!でしたよ。
さ、今日も、午後から話してきますよ。今日から自分たちでやっていきましょう「あるような社会にしていくことこそ、障害支援ですよ」と。
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