二十周年物語⑧

今日は、神戸新聞のネットニュースになり、それであれこれしてました。オープン記事になりましたので、どこまでも拡散ください

神戸新聞NEXTに載りました
https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202405/0017630812.shtml

紙面には11日の丹波版にでます。

 いや〜嬉しそうな顔してるね〜(記者さん、写真上手ですわ)

 大安ということもあり、お祝いが届き、それも右往左往。

 それから、5月下旬の神戸新聞の寄稿文を頼まれていて、その締切が明日10日ということもあり、結局思ったことの半分もできませんでした。

でも、これからいるのは平常心、平常心。木曜日だから、今からみとおしカード作ります。

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「自分では大満足なので、いつやめてもいいなと思っています」

と言ったところで、やめられるはずもなく(汗) それに、自分の老後が不安です
(まさか、老後の生活不安で、大企業でも70歳近くなるまで、働かなければならない国になるとは。政府の少子化の失敗・無策を恨みますわ〜)


というのも、十五周年の終わりに語った夢は、協力してくださる人の後押しで、前倒しで叶いました。丹波篠山市では2022年「療育用具」の年齢制限撤廃で、成人まで「日常生活用具の給付」対象になったのです。

これで、ダダさんの生涯にわたる「時間軸支援」と「コミュニケーション支援」が得られる可能性が出てきました。

となれば、「ツールはいつまでもある」ようにしておかねばなりません。

今年4月からは、広島県三原市も日常生活用具の給付対象になりました。これで、5自治体(他は、北海道斜里町・山形県村山市・愛知県春日井市・岡山県倉敷市)です。これから少しずつ増えていくといいなと思っています。

ただ、説得するには、日常生活用具の実態を知ることがいります。予算は限られているので、何かを削る形で、新規の機器が登録されることが多いからです。

自閉症や発達障害の人の支援ツールがなかなか候補に上がらないのは、本人が主張しないことが挙げられます。それは、本人自身も(いえ支援者側も)、何に困っていて、どうしたら楽になるのを知らないからです。そういう「暮らしにくさ軽減」という観点で接している人がとても少ないのです。

知的障害・発達障害の領域の人たちに向けて、「治したい」「こちらに合わせて欲しい」という想いばかりなのです。まず、そこのダメダメさに気がついて欲しいのよ。

それって、WHO(つまり政府)が定義した「障害支援」じゃないんですって。


でも、その「暮らしにくさの軽減」について説明できるようにならない限り、相手に「巻カレ」や「コミュメモ」が必要だと、日常生活用具にふさわしいかどうかは、伝わらないでしょう。

つまり、「障害支援とは何か?」がわかっている必要があるんです。「ICF」に表される。「個人因子」と「環境因子」が合わさって、「参加制約」「活動制限」があることを障害と言うという「社会モデル」。

それが説明できないのに、「認めてください」なんて、説得力がありませんよ。

こんなものなら、「他の文具で代用できる」と言われることは多いですが、でも、もし「代用」できるのであれば、もっと自閉症・知的障害の支援は進んでいるはずです。でも、一向に社会は「自閉症でも、OK」になっていないのは、その「自作の壁」があるからだと、早く気がついてほしいのです。

20年前に、

<「聞いてくれても実践の輪はなかなか広がらなかった」。ツールの自作に壁があると気付き、文字を書いたり絵や写真を添えたりして使うカードやスケジュール表のフォーマットの製品化、販売を計画。2004年に自閉症の子どもを育てる親らと「おめめどう」を起業した。>

んですよ、私は。

そのことがわかっていたから、それで、「市販ツール」を使い続けたことで、それが自閉症者の「暮らしにくさの軽減」になるということを説明できたので「日常生活用具」にすることができたわけです。

それは、多くのところは、難しいと言われる。でも、どうしてですか?

ずっとこの20年間感じていたのは、「邪魔してる考えがある」。そのことを、この業界に関わる人は、一人一人「なぜだろう?」と振り返って欲しいものです。

なにが邪魔しているんだと思う?自分たちの心の中にないだろうか?

わかっていることは多いのに、してみたら簡単なのに、代表的な邪魔者「悪平等」で封印していることのなんと多いことでしょう。「平等」という名を装っていても、「悪」と呼ばれる「悪」ですよ、それ。


とても、難しいと思うけれども、チャレンジしてください。

この不安定な社会で、少ないお金で、より安定して暮らすためには必要なものだと、主張してって欲しいのです

わかれば、本当に簡単なことなのだけれど ね(わかってほしい、気持ち、満載よ〜)


と言うことで、ツールを販売することについて、今日の新聞にもあったけれども

<20年を振り返り、「少しずつ視覚支援の理解は広がってきた」と話す奥平さん。節目を迎えたことに手応えと喜びを感じつつ、「視覚支援という手法を次の世代につなぐためにも、ツールを残す手だてを考えていきたい」と前を見据えている。>

そんな「睨んでる」わけではないですけど、どうですかね〜。次世代に続きますかね〜。まあ、方法がないか、模索してみます。


私が、「syunさんを師匠にしよう」と決めたのは割と早かったけれど、その理由は、もちろん「考え方が、これだー」と思ったのもあるけど、syunさんは、自分が障害児者に取り組んできたこと、たとえば、車椅子を乗せられる車、たとえば、身体不自由の子供のための自転車、たとえば、どれくらいがの光が消えるタイマー(ライトタイマー)、たとえば、文字盤や絵カード作り(あのね♪)を、最初は「自分(syunさん自身)」で作って、自分でフィッティングをされるんだけど、いくつかの事例を経験したら、すぐに「市販」にしていかれたからです。

「自分で作るのは簡単だけど、それだと広まらないでしょ

その「市販のアイテムにする」「誰でも買えるようにする」というその発想って、当時はほとんどなかったんですよ。

だって、たいていの人は「自作」で満足、「得意な人が作る」「自分家はこうしてる」「専門的な人に囲まれてるから」で終わっちゃう。なので「あの人は特別」という話になってしまいます(今でも、ニュースや話題に上るのは、「特別なことをしている人たち」です。それを「すごいな〜」とか「克服した〜」とかもてはやしていることがほとんどです)。


それって、「選ばれし人」にしか支援が届かないってことだから。まあ、つまりは毒ある書き方をすると「選民思想」。でも、選ばれなかったら、そんなに一生懸命できなかったら、時間も金もなかったら、できないのかよ!(怒)っていうと、そうでもないんですよね。

その「特別感」が嫌でした。誰でも、できるだけ楽に、簡単に、そして、安価で「できるもの」にしないと、本来の障害支援じゃないんじゃないの?と

私は素直に思ったからです。



それって、当たっていたみたいです。だって、20年続いたもの。使う人、10000人にもなったもの。





続く