二十周年物語⑤


 4月6日ダダさんと無事ドライブを終えて、これで、今年のGWは終了です。あと残すは本番まで数日。
 今日地図を作成して、これで袋に入れるものは全部揃ったので、明日納品されたら、袋詰めです。

 10周年の時は「家族カレンダー」を。15周年は「みとおしビッグユポ」を、記念品にしましたが、今回は「おはなし下敷きミニ 防災バック用」です。

 きっとこれから「防災」を、日常的におこなっていく時代になっていきます。なので、そうしました。 
 自分たちの身は自分たちで守る・・・これが当たり前になってくると思います。


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 商売の話の続きです。

最初、おめめどうには商品があまりないですから、収益の比率は、「相談業務:講師業:物品販売=3:2:1」くらいだったように思います。もちろん金額は今と比べて全然少ないですよ。

そのうちに「相談業務:講師業:物品販売=1:1:1」くらいが長く続いていきました。

でも、昨年の決算書をみますと「相談業務:講師業:物品販売=2:1:3」になっています。つまり「物品販売の売り上げ」が、おめめどうの「収益の半分」になったのです。

たくさんの人に使っていただき、本当に嬉しいです。やってきたことが、間違いではなかったなと安堵しています。

 つまり「視覚的なツールが、知的・発達障害の人たちには、必要」だってことです。


 けれども、いつぞやも「親御さんから頼まれる視覚的支援なんていうのはしなくても、うちの事業所ではやれる。むしろ使わないほうがいい」と嘯(うそぶ)く支援者さんの書き込みを見ました。また「暮らしに絵カードなどの療育を持ち込まず、人の手を借りて単身生活をしよう」と話す方が、息子さんには何の情報提供もされていないのでしょう、帰省の最後に「不具合があって」暴れたという壁の穴あきシーンが載せておられました。

 これらの「よくありがち」な発信は、影響力が大きいのだろうと思います。視覚的支援が、悪者に表現されるので。何かを悪者にしておくと、自分が楽ですし。


 もちろん、視覚的支援がさせる・強いる・動かすものであれば、別ですが、そうでなく、本人が自分の生活を判断するものであれば、どちらの事業所やご家族でも、役立つであろうにと思います。

 適切な「視覚的な暮らし支援」をされた当事者さんと出会っておられないのだなあと想像します。どちらかというと「関東の方」が多い。障害支援は、身体や知的を総合的に見ても「西高東低」なので。


 『母子分離の重要性』にも書きましたが、輸入されてきた時の視覚的支援やスケジュールが誤った使い方(選択活動がない、AACがない)で広まってしまったことは、残念で仕方がありません。だからといって必要じゃない、邪魔になるとかいうものではないのに。


 新しい支援技術が、なかなか広まっていかなかった理由は、「自分たちの方法が一番である」という考えです。それは、誰でも陥りやすい。コンコルド効果とも言いますね。してきたことは誰しも否定したくないですもの。

 もちろん、私(おめめどう)もそうですよ。だから、決めたんです。「他のどんな、なにが良くても、うちは、これでいい」「視覚的的支援を、カレンダー・スケジュール、選択活動、見えるコムをしていこうと」。

 誰と違ってもいいんですよ。何が「ベスト」とかないんです。自分たちは、ちょっとずつちょっとずつ「ベター」になれば。

 どの考え方・方法をしていくかは、自分で考えて「棲み分ける」んです。

 この20年には「視覚的支援不必要説」は、常に聞かれましたが、ありがたいことに、私には「売り上げ」「顧客数」という数字がありましたので、めげることはなかったです。

 特に10年を過ぎたあたりから、お客様が急激に増えてきましたし。15周年の時に、顧客数が、5000と書いてあります。だから、この5年で5000増えたってことです。

 ただ、いくら「顧客数」が増えても、この国全体に、視覚的支援が広まっていくことは、まず無理だなというのはわかりました。それはこの国のシステムが「前例主義」と「利権」によって牛耳られていることに気づいたからです。

 「天下り」という言葉は、悲しいくらい悪質で、役職を終え、次の事業所の「役職(長)」に天下るというシステムに乗ると、そこからの「お金」が得られる間は、「自分は、前例を倣って、特別なことをしない」という話になってしまいます。それに近い対応をあちこちで見ると、「障害児者本人の利益のために動くとかないの?」と、イライラしてしまいました。私は新参者ですから、物申す「その小さな声」には、もちろんケンモホロロ。

 福祉や教育は「公金」を使って運営されているので、一度あるところに「お金の流れの道筋」ができると、次にいくら「適切なもの」「新技術」が現れようと、「そのお金の流れを変える」よりは、「新しいものを入れないようにする」ことで、解決してしまいがちなのです。

 私は「一納税者」として生きていますので、税金の使われ方には不信感がどんどん増してきてしまいました(もちろん、そんなところばかりではないのはわかっていますよ)。


 私は、いつからか、ユーザーさんに「自分の頭で考えよう」ということを発信するようになりました。

 それは、15周年を終えた頃からだと思います。で、この理不尽な構造を、どうしたら変えられるだろう?と考え、結局「一人一人が、自分の家庭、自分の教室、自分の事業所、自分の現場」を居心地よく変えていくことしか方法はないと思いました。その数が、増えていけばいいのだ。

 たとえ、増えなくても、自分たちはシアワセだと。

 まあ、それが、おめめどうがずっとそれまでも言ってきたことでしたので、どこか大きな集団・団体・権力にアプローチするよりは、楽だなと思いました。個人事業主ですし。

 今回登壇してくださる中園さんから、「おめめどうを10億円企業にしたいの?そうじゃないでしょ?」と言われたことがあって、「そうだよな〜10億円企業になれば、また、違ってくるかもだけど、そこまで、働きたくないや」と思いました。


 「似合う帽子は被りたくない」「身の丈にあったことをしたい」


 というのは、私の決め事です。だから、自分からは「デジタル」にも参入しないし、そして「力のあるところ」にもすり寄ることがないのです。

 なので、今後もおめめどうが「どかーん」と知られる、使われることはないでしょう。でも「心地よいもの」って、そういうものじゃないですか?人知れず、使われているというような。人知れず、人気があるとか。


 今後「人手不足」は加速がつきます。そこをどのように生き残っていこうかしらと、ただいま模索中です。とはいえ、現在、取り立てて「人手」(運転手をする意外)はいらないところまできたのは、ありがたいです。

 視覚的支援と自己決定さまさまです。


 今既に学校の先生が以前のようにしてくれないという「質的変化」をしてきています。どうぞ、今幼児学童期の皆さんは、先(を見て)の社会を予想して、今を生きる、「自分たちは、どう生きたいか」を、そのために「今することは何か」を考えていってくださいね。

 社会もかなり不寛容になってきて、SNSなどを見ると、そのネガティブパワーに、多くの人が取り込まれていってる感じしています。同じように重箱の隅をつつくような「不寛容」に、大切な時間を使っている。


 「ふてほど」というドラマにもありましたが、「寛容になりましょう〜」ですよ。あれほんとそう!あれしかないですよ、この窮屈な生活を打破するのは。

 一緒になって「不寛容」にならなくてもいいのに。そうすると「不寛容」を引き寄せるだけなのに。


 「寛容」でいる人には、「寛容」がやってきます。これは、言葉の理屈ですから。

 さっきも、私の好きな寺尾孝士先生(北海道)が、身体不自由のお孫さん(電動車椅子におのりです)と、旅行をされたそうですが、どこも「合理的調整」をしてあって、快適だと書かれていました。そうそう、ちゃんと求める人は、得られるようになっているのです。

 日頃から、障害者に「合理的調整」をしている人には、ちゃんと、ブーメランのように ね!


 話は戻って、現在のおめめどうは、「1:1=ツール:考え方」で販売しています。

 先日、どんな風に残していこうかの話になった時、「ツール販売は残せるだろう」という見込みが(少し)できました。これは、ありがたいですね。

 でも、「考え方がなあ。それがなくなるとツールも売れへんのとちゃうの?」と、そこですわ!

 「考え方」は、おめめどうが終わったら(物品販売だけになったとしても)、そこまでの「記録」の分しか、伝えていくことはできないんです。


 「syunさんの考え方を、もうsyunさんの口から二度と聞くことができない」ように



 残ったものが、身についたものを、覚えている限りのものを、隣へ隣へと伝えて行くしか方法がないんですよ。

 (人は忘れるし、話は変質するし)でも、それが、歴史というものでもあります。

 なので、ぜひ、今のうちに、どんどん「考え方」を聞いて、自分で実際やってみて、自分の身につけていってくださいね。


 「知識+実践=知恵」 (助けてくれるのは「知恵」です)


 次の時代を作るのは、みなさんですよ〜。

 どっかから「いい話」「いい方法」「いい支援者」が、やってくるんじゃないですよ〜。

 ただひたすらに「誰かを頼ることはできなくなる」でしょう(少子化の無策がたたり、批判すべきは大元の政治ですよ)

 自分たちで作っていくんです。





 続く