スケジュールや構造化を誤解しないでほしい(2020年8月21日のメルマガ)

★こんにちは、ハルヤンネです★

ネットで記事を眺めていると、「スケジュールは嫌がった」というのを時折読みます。自閉症で有名な人の本にも、そう書いてありました。そのことで「合う人と合わない人がいる」という解釈をする人がいらっしゃるんですが、それは、間違いです。つまり「押し付けられたスケジュールは嫌がった」という意味で、自分で立てることができるのであれば、必要なものなのです。

ただ、自分で立てるようになるのには、最初手助けがいる。それを知らずに「スケジュールをしたらいいんですね」と、こちらがさせたいことをさせたい順番に並べたとしても、本人には窮屈なだけですよ。それで、それを壊すと「やっぱり、スケジュールなんて管理的でダメなんだ」というのは短絡というものです。それは、「管理しているのがダメ」ってことであって、「スケジュールがダメ」ってことではありません。

構造化もそうです、「ガチガチ」の動くこともできない衝立を立てたら、そりゃ怒ります。でも、そうではなく、本人に尋ねながら、本人が選んだところに、場所を決め、いるなら衝立をしてみる。そのことで、少しでも本人が快適と感じたら、それは必要なものになるんでしょう。

「スケジュールや構造化」という言葉だけが一人歩きをして、つまらない方法が広がってしまったことは、罪深いものがあると感じています。

だから、2004年に、私は選択活動とAACをプラスして、より人権を考えた(年齢と性別の尊重)、おめめどうへと向かっていきました。その頃には、そんな「手前勝手なスケジュールや構造化」がうまくいかないことくらいは、多くの人がわかってきていたのですよ。

多くの人が転換していかれたと思います。なので、成人になって自分でスケジュールを立てたり、選んだり、そして、AACがいることに気がつかれた方は、その人のなりのAAC(音声言語以外のコミュニケーションの手立て)をお持ちになり、やっておられるのです。

けれども、古い考えままの指導者(特に学校教員が多い)に出会って、そのまま、本人抜きの「スケジュールや構造化」をされてしまうと、当然「嫌ってしまう」「潰していく」となっていくでしょう。

そんな記事を読むとき、辛いなと思います。自閉症に必要な「スケジュールや構造化、視覚的支援」が届かないこれからの人が出てくるからです。それを読んで「そうなんだ」と考える人は少なくはないだろうから。

スーパー支援者なんて、どこにもいるわけじゃない。じゃあ、どこでもできる「スケジュールや構造化」が、誤解された使い方をされず、本人のものになっていく方が、建設的と考えます。

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