15周年物語 6

ハルです

楽しいですね〜連載はね〜。ちょうどFBで過去のこの日というのがでてくるですよね。すると、10周年の様子の写真や、13周年の時の気持ちが、出てくる。ああ、懐かしいなあ、あの頃は「まだ、楽だったな」と思いますね。今は、ものすごく忙しいです。一日中働いていて、夜はコテンと寝てしまいます。

記者さん「この売り上げグラフを見ると、2014年頃から急激な右上がりですね。どのくらいの違いがあるのですか?」と言われました

そうですね、ユーザー数は、5年前のほぼ倍になりました。売り上げは毎年100万単位でアップしていきます。
会社法人が、行政に出さないといけない書類は「確定申告」だけです。ほかの事業内容などは一切提出義務はありません。そして、成績は「支払う納税」です。

会社を興したとき、「納税は立派な社会貢献です」と中小企業コーディネーターの方から言われました。この言葉大好きです。

だって、福祉・教育系の人たちはこの「納税」に関してとても無頓着だから。自分たちは、障害者の支援・教育をして社会貢献している。それは、いいですよ。じゃあ、会社にして収益を上げて納税しているものは、社会貢献もしていない?そうじゃないでしょう。でも、そこまでの見地がないんです。

それから、私はおそらく「税金を支払っている意識」はものすごく高いから(だって現金一括で払うんだもの)、使い道にもうるさいですよ。社会批判をするのは、そのせいでもあります。

2014年 10周年の時の祝辞は、あの幼馴染のプリテックの堀くんにしていただきました。その時のメルマガを、今日再アップしました
「勇気とお金」
https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12460441538.html
わかってくれる人が、いる。それは、とても幸せなことです。

2009年に高等部を退学してから、しばらくして入退院を繰り返して、ようやく落ち着いたのが、2011年くらいだったと思います。

そして、2011年は、FBを始めた年でした。理由は、ダダさんのことでの「わかったこと」(失敗ですよね、主に)を話していかないといけないと思ったからでした。この業界では、他に話す人がいないもの。だって、誰も教えてくれなかったからです。

TEACCHプログラム研究会からは、2004年のシンポジウムで発表をさせていただいて、しばらく続けたけれども、どうしても馴染めず兵庫県支部そのものをやめてしまいます。それが、選択活動がないことと(飲み物とか行き先とかだけ)、AACのなさでした。受容性のコミュニケーションには視覚的支援をしても、発信には音声言語に頼るところ。実際、セミナーでお話をする、「亀を逃がします事件」が起こり、これじゃダメだながわかったからでした。

2011年からは、それまで自閉症圏の専門家や活動をされている親御さんなどとは交流を絶っていきました。それは、「考え方が違うから」です。

ダダさんの思春期で気がついた「年齢の尊重や母子分離」そして、震災で言葉にできた「仲間はずれにしないで」。それがわかった以上、「母子分離不全を起こしている」先達や親御さんとつるむのは、心が苦しくなりました。
また「仲間はずれにしている」憶測支援を伝える専門家の話も話半分になります。

当然、自閉症圏の中では、孤立をしていくんですけど、そのあたりから、おめめどうのお客様が増えていくんですよね。

つまり、「年齢の尊重や母子分離」「仲間はずれにしないで」を伝えていった、親御さんがどんどん楽になっていくから。教室や事業所も、ああ、楽になりましたと言われるようになっていくです。今まで、いくら「視覚的支援をしてきたのに」「カードコミュニケーションしてきたのに」、どうもしっくりしなかったものが、「基本の人権」がわかったところで、ピタッとおさまっていくんです。

『非常時の支援と工夫』は、すぐに本にすることができましたが(やはり客観的になれますから)、思春期で四苦八苦したことは、ネットなんかで載せることはできても、文章にすることは難しかったですね。傷が癒えていないというか、ダダさんも時折噴火もあり、落ち着いていないし。

でも、話そうと決めて、スタートさせたのが、「トータルセミナー」という1日セミナーです。2013年3月17日尼崎を最初に、今まで名前は変わっても、ずっと続けてきています。

そのトータルセミナー(幼児期・学童期・思春期・青年期をトータルで見る)を始めた年は、ダダさん21歳です。やっと大人になったからですよ。大人になると、ぱあっと見えてくるんです。上から俯瞰するわけですから。思春期にしくじったこと、学童期にしてよかったことや、しなくてもよかったなってこと、幼児期にもっと可愛がっておけばよかったなってことも(涙)

2013年『自閉症・発達障害の人と伝えあおう・わかりあおう』をエスコアールさんから出版します。これも金森さんからご紹介を受けて、書くんですけど。理由は、2011年頃からは、自閉症圏ではなく、支援機器系の人たちとの御縁が中心になるからです。自閉症圏での出版は、もう諦めてしまった感はありました。

エスコアールさんは、ご存知の通り「東田くん」を見出した出版社です。同じ路線ではないけれども、文字や筆談についての理解があったので、御縁ができて続いています。この「筆談」を支持するところが、発達障害系には、まだないんですよね。やっぱ、絵カードとか写真どまりなんです。あれ、なんででしょう?(理由がわからない)。だから、絵カードが終わると「いきなり音声言語」になる、で、うまくいかなくなっちゃう(言うと怒られるから、もう言わないけど、文科省ですらそうなんです。利権かなあ)。

今度15周年に出店してくださるみなさんも、ATACカンファレンスで、中邑先生や今は亡き畠山先生や、お知り合いになることができました。そちらの方がずっと心地よかったので、そっちとの付き合いは、なくならなかったのです。

2014年『ハルさんのズバッとQ&A』2015年『ハルさんのスカッとQ&A』は、元原稿は、2008、2009年に連載をしたものでした。でも、その頃は「年齢の尊重と母子分離、仲間はずれをしない」がわかっていなかった頃なので、いささかお粗末な返事でしたから、それを、全部書き直し、出版しました。

いよいよ、本丸『思春期』に着手するのですが、さすがに、自分の体験談として書くのは、まだ恥ずかしく、難しく、Q&Aのスタイルで書きます。 2016年『思春期Q&A』を発売。

翌年の2017年に聴覚障害の人が神戸のセミナーに来られることになり、それを録音して、文字起こしをすることにしました

https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12279555750.html

で、完成したのが『しくじり思春記』です。ダダさんは、25歳になっていました。思春期は遠くなりにけり。まあ、古傷は痛むけど、やっと書けたという感じで、ホッとしました。

一昨日テレビ番組のプロデューサーさんが、『しくじり思春記』をポチってはりました。とある放送局で、6月に発達障害特集があるそうです。そこで思春期を取り上げるとのことでした。有名な専門家が出られると聞いています。私は、頼まれても(頼まれないか・汗)ちょっと遠慮したいです(テレビは不特定多数なので、怖いです)。本の紹介くらいはいいけど(汗)

2018年は、もりもとさんとの出会いで『自閉症のもりもとさん』が出せました。当たり前ですが、もう成人支援になっていくんだなと、自分を振り返っても思います。

まあ、目の前にあることを一生懸命していくと、なにかしら方向が生まれてきます。わかるのは「いつまでも、同じ場所にはいない」ってことです。学んでやっていくと「ああ、これは違うな」とか「こちらが心地いいな」というものがでてきます。それから「縁」ですよね。「出会い」です。人ばかりではなく「出来事」との出会い。

居心地の良いものに出会うと言うよりは、居心地が悪いものから離れるようにすると、楽になります
(良いところ取りではなく、悪いとこ取らずと私は話しています)

それに正直にやってきて、寂しい時も、辛い時もあったけど、概ね楽しかったですよ(なんでも良いように取るのであ〜る)。振り返った時に、いろんな財産ができたんだなあと、今回改めて気がつきました

続く