15周年物語 5

ハルです

夢を持って療育をされている方には、申し訳ないと思いますが、20年歩んできてわかったことを書いています。

それを、他の人が言わないのは、なぜなのか?

一つは、親自身が福祉の道へ進み、予算に取り込まれてしまうから。利権のあちら側に行かれるんです。
それから、どこまでいっても「お世話になっている」とか「可愛がられる障害者に」という気持ちがあるからなんです。でも、それは、親の立場であって、本人の視点ではないんですよ。

私だって、親なので、そっちへ行きたい時もありましたが(楽だもの)、それを阻止する人が、そばにいたんです。それが、syunさん。私は20年以上、あえて、離れないでいたのは、自分が揺れやすい親なので、「本人立場からの視点」がずれないようにするためなんです。

syunさんが関わった親御さんは多かったのですが、いずれも、時間が経つと、親御さんの方から邪険にしていかれました。理由は、ストレートすぎる。親の気持ちで支援を考えると、「ビシッ」と指摘が入るからです。それが、しんどくなる、自分がやりたいこと(多くはデイや事業所、また、相談業務・ピアカンなど親の会活動の延長です)の邪魔になると思っていくんです。

だって、デイは、親の思いの実現ですもの。本人のためにできたというのは名ばかりの。

でも、おめめどうが「当事者」さんに(それから、わかりたい親御さん、支援者さんに)信頼されているのは、syunさんがオブザーバーとしておられるからですよ。それは、間違い無い。もちろん、わかって、運営しているんです、私、社長ですから(笑)

さて、大きな転機である2011年に話を戻します。

そのあたりから、売り上げのグラフは、違う曲線を描き始めます。もちろん、東日本大震災と翌年は、東日本からの注文がぱたっと止まったので、低迷はするのですが、それ以降は、下がることはなくなるんです。じわじわ底から湧いてくるような感じでした。

東日本大震災が起こった日、おめめどうの事務所でスタッフと一緒にテレビを見ました。一番に「自閉症児を抱えたご家族」のこと、心配しました。お客様には、東北三県のみなさんもいたから。それに、この惨状で、どうして生き残る?と思いましたよ。

14時台に私が、「何か書くものを持って逃げてください」とツイッターに発信をしています。それが、自閉症圏では一番早い発信です。

けれども、阪神大震災を経験した兵庫県民は、闇雲にネット使うことは控えるように習っていましたので、その後、「非常時の支援と工夫」に書いたように、ユーザーさんから言われるまで、ブログも配信していません。

昨日、記者さん「この冊子(非常時の支援と工夫)は、4月11日に発行されているのですね」とびっくりされました。

そうなんです。3月11日の夕方から配信を始めて、16日間で書いたものを、校正して、ひと月で出版。すぐに東北三県に1500冊送りました。巻カレ大も1500枚。

もちろん、人づてで、頼んでですよ。届いたどうかもよくわかりません。あとで、倉庫で眠っていたという話も聞きました。「したことがないから、使えない」というのがその理由でした。

東日本大震災のときに、一生懸命コミュメモをアップしていき、支援の仕方を綴ります。そのときに、いっぱいやってきた相談に個人的にも返事をしながら、syunさんに、「なにか言葉にできないか?」というと、「仲間はずれにしないで」という言葉を思いつかれました。

おめめどうの支援を、一言にいうなら、「仲間はずれにしない支援」なんです。それが生まれたのがあのとき。それは、おめめどうにとっても、大きな瞬間でした。

震災関連のニュースを見ると、障害児を抱えた家族は本当に大変そうでした。その中には自閉症児者の姿もあり、いつものことができないことで、混乱した様子をされている映像もありました。

でも、一方で、おめめどうでには、落ち着いた後、たくさんの感謝のお便りがきたのです。

「おめめどうグッズを使ってきてよかったです。大変なときでもわかってくれました」「本人の気持ちを聞きながら、傾いた家で過ごしました。不安でしたけど、伝わることで、どれだけ助かったでしょう」

そこには、新聞やニュースにはない、自閉症児者を抱えて苦難の中を、わかりあえて乗り越えた家族の姿があったのです。

それから、震災の後、強度行動障害の施設の方が、コミュメモを買いに来てくださいました。どうしてメモです。

「ブログで写真を見て、同じように『地震と津波で、停電をしています』と書いて、利用者さんに見せたら、みんな落ち着いてくれたのです。僕たちがしてなかったのは、こういうことなんだと思いました。理由を説明することをしていなかった」

そういう話、おめめどうには、たくさんやってきたんですよ。

それでも、「そんな非常時から視覚支援をしてはいけない」とか「見せたらいいというものではない」とか、「アセスメントをしてから(巻カレ)貼りますね」とか、横槍は入りました(しかもそういうのが名前がある人だったりするんです)。「アホちゃうか?」と思いましたね。でも、福祉の世界って、そういうところだとわかっておくことがいるんです。どんな状況でも、自分たちの立場の方が、大事なんです(もちろん、私もです。違うとは言いません。)。

その東日本大震災以降は、日本は、災害大国になっていきます。今日も宮崎で震度5弱がありましたね。5弱くらいだと、なんとも感じなくなっている国民に、海外の人はびっくりするそうです。

原発問題もあるし、台風もあるし、どこで何が起こっても不思議じゃない、いつまでこの国はこの形であるのだろうか?と思うほどです。

でも、おわかりのように、震災時にはライフラインが途絶えちゃうんです。電気も使えなくなるんです。となれば、タブレットじゃ、パソコンからイラストを取り込んで絵カード作りなんてできないんですよ。

でも、紙とぺんは、電気入らない。

もはや、おめめどうは、「サバイバルな支援」という認識で、私はいます。

その証拠に、認知症の人たちがどんどんお使いになっているのです。もちろん、最終的には読んだり書いたりはできなくなります(その行為を忘れてしまう)。でもそれまでの数年は、読み書きそろばんという残存能力は、非常に役に立つのです。

そして、英才教育、幼児教育に、同じようなスタイルで子育てをしましょうみたいな動きがでてきたために、パクリ本がでましたよね。もちろん、その本については、弁護士を立てて勝ちましたが、幼児教育グッズには、似たようなものがどんどん売られるようになりました。お支度ボードとか(笑)

つまり、幼児のしつけの仕方が、「自閉症の視覚的支援」に近しいものになってきているのです。

分母が大きいから、この傾向は、どんどん進むと思います。いっそ園や学校がそうなっていけばと願うばかり。

私は、おめめどう起業するときに、「(有)おめめどうー自閉症サポート企画」という社名にしました。それは、「おめめ、どう?=視覚的支援をしましょうよ、視覚的支援はどうですか?」それが、「自閉症の支援にはいるんです」と知って欲しかったからです。知らない人の方が多かった。

でも、株式にしてからは、「(株)おめめどう」にし、自閉症はとりました。それは、発達障害という名前が広がったこともありますが、もっと広いところで、役立つことがわかってきたからでした。結局、人の支援って、「キモ」はおんなじなんですよ。

名刺の裏には、「おめめどうは、自閉症・発達障害のひとばかりでなく、高齢者や子供達、また外国の方など、視覚的な情報で楽になるみなさんへの支援グッズを開発・販売している会社です」とあります。まだ、丹波篠山市にはなってないけど(汗)

でも、私は、今も、(ダダさんの障害である)自閉症の人たちがシアワセになってくださったらいいなと一番に思っています。彼らが楽に暮らせたら、そばにいる私たちも楽に暮らせ、シアワセになるから


続く