二十周年物語②


 今日(5月4日)は一歩さん(ユーザーさん)と一緒に、syunさんのお墓参りに行く予定にしていましたが、一歩さん田んぼが始まってしまって、一人で行ってきました。こういうのをこなさないと、きちんと二十周年が終わらない感じするんですよね。で、「絶対、当日来るんだよ!」と念押ししてきましたよ。

 syunさんの故郷は、巻き寿司の美味しいところなので、それを楽しみにしていったのですが、GWどこもライダーと車がいっぱいで、あちこち寄ったけれど、予定していたお巻き寿司も手に入らず、卵かけご飯の店には満員御礼で、結局、地元まで戻っていつもの食堂でいただきました。

 でも、どこも「ダメ」が重なってくると、もしかしたら、「仏さん」かつて行ったお店や場所へ、ドライブをしたかったのかもしれないなとか、思いつつ。食べると時間がかかるから、さっさと次へ行けと(まあ、そうしておきましょう)。



 さて、続き書きます(ドライブしながら考えたので、出しておきます)

 市販のツールや相談業務が、もっと関心を持ってもらえると期待して、大枚叩いて作った「おめめどう」という船は出航してしまいました。

 しかしながら、そんなにすぐにはお客様はありません。結局、「ダダ母さん」とか寄ってきた人は、「母親」が起業して「ツールを売る」なんていうことを期待していなかったのかもしれません。

 私が見ていたのは(ハリボテのイッツスモールワールドみたいなもので)、本物ではなかったのだなと。それに、そもそも、私もまだまだで、「メッキのコイン」みたいなものだったと思います。

 当時ある商品は、「巻カレ」と「ライトタイマー」くらい。2006年に「みとおし」「えらぶ」「こたえる」ができます。
 ハルネットという相談業務も、有料の壁はあつく最初は14名からのスタートでした。メルマガは2005年に無料版にして、550名まで登録されましたが、2006年3月に一日十円の有料にしたら、途端に140名に減りました。有料の壁はものすごいのです。

 えらいことしたわ

 「福祉でお金を儲けるなんて」と当時の先達からは、とても批判されましたが、お金儲けなんてとんでもないです。どんどん貯金が減っていく、社長の給料が「満額」出たのは、
 起業から8年目の2012年の7月でした。

https://ameblo.jp/haruyanne/entry-11293777526.html


 しかし、おめめどう船から、どこを見ても、四方八方海また海。もはや、港に戻ることはできません。会社法人の場合、うまくいかなくなったら(お金の底をついたら)、倒産(廃業)です。でも、その時には、そこまでかけた資金は没収です。一銭も戻ってこないんです。一文なし。それは困ります。

 ただ、いつやめても、作った「グッズ」は残ります。それを使う人はいます。ええ、ダダさん、そして、スタッフのお子さんたち。数年で、もう「巻カレ」や「コミュメモ」がなくてはならないものになっていたので、やめたら、みんなで「山分けしよ」って、話していました。

 強いのは、売れなくても、給与が出ないだけで、自分たちは他には困らないんです。むしろツールで快適にやれるんです。家も学校も事業所でも、使ってもらえる(もちろん、ハードルはありましたが)。

 ただ、「ダダさんの思春期でしくじっている間」が辛かった。これ「どこに着地する?」て思っていました。まあ、それが終わってから「母子分離」の確信ができて、おめめどうが急激な右上がりを示すんですけど(雨振って固まるっていうか)。


 最初は、今では鉄板と呼ばれる「巻物カレンダー」でさえ、「こんなモノ使ったら。七曜日式がわからなくなる」とか、「選択活動」を話しても「選んで、わがままになったら」「入所したら選べる環境じゃないから」といった声が満載やってきて、誰もされませんでした。

 つまり、「障害者」には、わかるものを使うとか、自分の好きなもの選ぶという「人権そのもの」がない状態だったのです(今もであれば、非常に悲しい)。


 今、テレビで「虎に翼」をしていてますよね。その中で女性の権利についての物語があるそうです。

質問です。女性の参政権はいつから?

昭和21年(1946年)4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生いたしました。

とあります。つまり、それまで女性には「権利がない」んですよ。「政治的なことを選ぶ」ことも、「政治に参加すること」も。

それと同じですよ。


 障害児者には、「わかる環境」も「えらぶこと」もさせないんです。

「どうする?」「どうしたい?」
https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12850762956.html

を聞いてもらうこともなく、「こうしなさい」「これがいいはず」と障害があるだけで、権利を剥奪された、「庇護される存在としてあること」を強いてきたからです。


だから、言われた言われた

「こんなもの」「選ばせたら、わがままになる」「絵カードを使うと、私たちのように喋れなくなるかも」「特別扱いしないで、同じことをしなくちゃ」と。

今もなお同じように思っておられる方は多いかもしれません。手立てをしない言い訳はいくらでもでる。だって、この国でやっていかなきゃいけないんだからと。

じゃあ、翻って、この国でやっていかなきゃいけないんだから、女性には参政権はいりませんか?

当時「女に権利なんて持たせたら、碌なことがない」と言った人たちも多かったと(男性の中にも女性の中にも)聞きます。

「意思決定」に対することも、そんなもんなんですよ、所詮「人ごと」だから。私はこの国の女性の権利(評価)の低さに、うんざりします。

 お母さんがしていること、女性社長、女だから・・・・それがいったいなにか影響するんですか?巻物カレンダーやコミュメモに。お父さんが売っていたなら、もっと知られたはずだとか。
「女だから」「お母さんだから」で「信用がない?」いったいどうして?

と・・熱くなりましたが(汗)。心で思っていた人も、いたはずです。

障害児者なら尚更です「我が子であっても、人ごと」なんだなあと、つくづく思いました。障害のある家族に「投票権なんて、いらないでしょ」とか平気でいう人、よく見ますよ。

「本人の方を向かない」ということでは、これらの逸話はわかりやすいかもしれません。

 高等部に入った時、ちょうど校長先生が新任でやってきて、入学式の時にこう言われたのです

「私の息子にも、知的障害があります。だから、障害がある子供のことや、親御さんの皆さんのお気持ちがよくわかります」と。

 当時の私は、まだ蒼くて、期待しました。障害のある子どもの家族なら、しかも校長にまでなった人なら、間違った支援をしないだろうと。けれども、蓋を開けてみたら、びっくりしました。

『母子分離の重要性』にも書きましたが、「保健便りの表紙がパンダの絵」「運動会の参加賞が折り紙」「遠足のおやつが百円」。え?気持ちがわかるんじゃなかったの?

 繰り出される年齢尊重のない「人権侵害」に、私は全てに意見をしました。

 すると「喜ぶ生徒もいる」「お金を出せない家もある」と校長先生からは返事をもらいました。しかも、それに「賛同する保護者」が多かったのには驚きました。

 そうかそうか、校長先生は「障害児者本人の気持ち(人権)はわからないんだ」と。「親の気持ちはわかるけど」。つまり、「親支援と本人支援が違う」ことをご存知ないのだと。でも、後で、こうも考えました。

 校長は新任だったから、このような「驚くべき」前例は変えたかったのかもしれない。でも、「職員室」に長年巣くっている「ベテラン」「前例主義」の意見を変えられることができなかったのかもしれないとも。そんな状況は、学校や団体の中では、よくある話だから。

 このような「誰かの力のある人の思惑」「あるいは、誰も疑問に思わない古い慣例」によって、「本人」への支援が、蔑ろになってしまうことは、この国ではとても多いです。

 「その場の力のある人を立てる」ことで「当事者は我慢を強いられる」(今ではニュースであちこち見受けられる風景じゃないでしょうか?)ことは・・・それは、明らかに、間違いですよ。


 もう一つ、syunさんが「あるご家族」の支援を頼まれた時に、事業所から「親御さんは肩書きのある人で、お子さんには視覚的支援やスケジュールはしないと言われているから、それなしで支援してほしい」と言われたそうです。事業所も知名度が上がってきたし、誰でも受け入れないとだめから、どんなご家族の要望も事業所で認めようということになったと。

 「そんなこと、僕できひんよ。本人暴れてるんやろ。ほな、わかるようにせな。支援を家庭でもするように家族を説得するのが、僕らの仕事ちゃうの」と、syunさんは憤慨されたと聞きました。

 事業所の「みているところ」がもはや、「本人」じゃない「親」なんです(「財布」と「知名度」がそこにあるから)。「親支援と本人支援は違う」のに。

 そういう上との「価値観」の決定的な違いは、仕事をする中で、syunさんを苦しめる原因の一つだったと言われていました。折り合いをつけることはできなかったと(おめめどうは、その「価値観」が同じなので、居心地が良いとも)。

「誰に向いて仕事してるねん」

はーにゃさんのブログにも出てきます

https://ameblo.jp/yuztan/entry-12826460739.html


 syunさんは、親、教員、支援者に向いてなんて、絶対仕事をしない人でした。だから、嫌われもしたけど(きっとハルネットの人たちの中でも、怖いとか、苦手とかあったと思います)。それは、本人の方しか向いてないからなんです。だから、ご本人たちは、syunさんを信用していましたよ。だって、自分たちの権利を守ってくれるわけだから。


 でも、その厳しい物言いや態度に、隣にいる私は、常にヒヤヒヤしました。あなたの言い分はわかるが、言い方もあるやろ・・・と(汗)

そんな話になった時

「僕な、こうちゃん(ウエルドニッヒホフマンのマクトス付けた少年)や、タカダコウジ(脳性麻痺で自分で事業所を作り、自分のヘルパーを雇うということを日本で初めてした方)に、『言い訳』せなあかんようなことしたくないねん」

と、いつも言うてはりました。


 でもね、その多くの人が苦手とする、ともすれば、忘れてしまう、「本人に向いてのみ支援をする」を、syunさんのおかげで、なんとか曲がりなりにも貫いているから、おめめどうユーザーは心地よく暮らしておられるのですよ。


 スタッフに聞くんですよ。「どうして、ずっと手立てをしてきたの?」と。すると、彼女らは口を揃えて、「だって、親の私が楽やもん、楽したいもん」と。私もその通りです。楽したいし、楽できるからです。


 つまり「本人が楽になって、初めて、周囲が(親が)楽になる。逆は真ならず」なのですよ。



 どうしたら、本人が楽になるかって?

 それは「人権が守られている状態にする」んです(自明の理)。






続く