障害者の自立の三原則(2013年12月18日のメルマガ)


★こんにちは、ハルヤンネです!★

昨日の私の失敗談は、「よくあるわ~」でおしまい、笑って終わりという話ではないのです。

そうして、私が、息子の「自分の荷物を忘れたことを、自己責任と感じる」「自分ものは自分で管理することを自己責任で行える」のを、「良かれと思って」あるいは、「こうしないとダメよ」と邪魔する(今回なら、CDケースを持っていく)ことが続くと、これこそが「人権侵害」になっていくのです。

おめめどうでは、セミナーで、syunさんの「障害者の自立の三原則」のお話をします。それを聞いてもらいたいのは、最初にくる、自分で選ぶ(自己決定)は本人の権利であり、あてがわれるだけの暮らし、選ばせてもらえないこと自体が、権利侵害にあたり、その選んだことを、本人が実行することも、その人に与えられた権利であることを知ってもらいたいからです。

と、ここまでは、たいてい理解される。自分の身に置き換えても、自分で選んだことを、自分でする・・・これは自然なことです。させてもらえないとすれば、自分が尊重されていないとわかるでしょう。

そして、その後にくる「実行した結果を見る=自己責任」に当たる部分ですが、それもまた「本人の権利」なのです。けれども、私たちは、その責任の部分を義務とは考えても、権利という見方をしません。ですから、そこを「邪魔」してしまうのです。

私は、息子がした結果「CDケースを忘れた(あるいは、おいてでた)」を見て、「ああ、これは、本人の自己責任だわ」とわかったのにもかかわらず、それを、邪魔しました。「権利侵害」をしたのです。

一見優しいその行為が、「人権侵害」にあたるとは誰がわかりましょう。わかるのは「された本人だけ」なのです。そして、
積み重なると、自分が「真」に認められていないと思っていきますから、ふつふつと不機嫌になっていきます。

自閉症の思春期は大きく荒れると言われています。うちの息子も、そうでした。それは、私が「選択」のことはわかっていたのに、最後の「責任」の部分をそう頓着しなかったからです。それは、手立てを覚えれば覚えるほど「小手先」でどうかなると考えたこともあったし、また、気づく年齢が大きくなると、対峙するときの怖さから避けていったのもあります。

けれども関係性が持ち直した、本人が落ち着いたのは、その「責任」まで彼のもの「邪魔をしない」としはじめたからでした。

だからこそ、今回のCDケースのことを書こうと思いました。自立というのは、深いです。ぜひ、セミナーで、この話を聞きにきてください。「責任まで権利」だと、他ではまず聞くことはないので。

◆◆◆おめめどうのメールマガジン「おめめどう通信」
おめめどうのFAX:0795944667◆◆◆