二十周年物語④

 今日(5月5日)は、実家の創業百周年の展示会に行ってきました。百年お店を続けるとなると、四代いるんですね。

 私の祖父が初代、父が二代目、兄が三代目、MUUさんと同い年の甥っ子が四代目です。それで、100年。同じ業種を続けるのは大変です。しかも、同じ町の同じ土地に四百年住んでいます。城下町ですから、そのようなことになるんですよね。びっくりですね(汗)

 私は、「商売人の娘」ですから、商売が通常の暮らし方(収益の得方)でしたので、給与が支払われるという感覚よりも、働いて稼ぐという感覚に馴染みがありました。

 おめめどうが二十年やれたのは、この「商売」が自分にしっくりくるからだと思います。

 「障害支援は(次男が自閉症だったので)仕方がなく」でしたが、「商売は(小さい頃から)好き」でできました。

・・・・・・・・・・・・

 会社には「商社」と言って、商品を他所から仕入れて、販売し利鞘を稼ぐものと、「メーカー」と言って、その会社が作って(作らせて)いる商品を販売し利益を得るものがあります。おめめどうは、後者の「メーカー」にあたります。

 でも、最初は他社製品を「買い付け」して販売することもしていました。

 ちょうど2010年は、「自社製品」はあらかた出来上がっていましたので、「他社製品」に随分と助けられます

・歯磨き絵カード&DVD(サンスター)
・あのね♪DS(Nintendo)
・タイムタイマー(アクセスインターナショナル)
・COBO(阿波グローカルネット)
・Uシンボル集&ボイスルーラー(コムフレンド)
・簡易衝立(生活工房)

などです。

 でも、次第に、「他社製品」を扱うことが減りました。それは、「自社製品」の売り上げが伸びたこともありますが、それよりも、多くの商品が、アプリ(デジタル媒体)や他の雑貨や便利ツールに入れ替わり、採算が合わなくなり、会社としておやめになるところが出てきたからです。

 syunさんを偲ぶ会には、当時の「アクセスインターナショナル」さんの田代さんと石原さんが、堺市時代として話をしてくださいますが、その「アクセス」さんも今はありません。また「コムフレンド」さんも、シンボルがドロップスなどデジタルでダウンロードできる時代になって、その役割を終えられました。12日に塩見・中野さん両名が来られますよ。

 「生活工房」の増澤さんが、作られていたランドセルに入る大きさの「衝立」も、もう、DIYでできる時代です。
https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12679799514.html

 任天堂の「DS」というプラットフォームも、今ではなく、「スマホ」になりましたしね。

 時代だなあと思います。ちょうど、私やスタッフ家族は、アナログの最後の世代なのかもしれません。2010年代は、どんどんとデジタルに置き換わりました。

 その「アナログ」の支援ツールの集大成が、2013年に、syunさんが福祉のまちづくり研究所で出版された「知的障害者、暮らしのアイデアブック」です(今回表紙の案内しかできなかったのが、残念ですが)

https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12846740540.html

 いろんなものが、100円ショップに簡易なアイテムが発売され始めたのは、知的障害・発達障害の子育てや支援にはとても、ありがたいことだったと思います。生活で工夫が安くできるようになりました。

そのあたりの時代の変遷を書いたのが、こちら

そだちの科学「暮らしやすさのためのツールの開発」の生原稿
https://ameblo.jp/haruyanne/entry-12809908634.html


 100円ショップやDIYの到来で、2000年後半から、加速をつけて、グッズが日常にあるようになったという感じがします。

 にもかかわらず、障害支援の現場では、「声掛け」「手引き」「丸腰」のままで、本人の暮らしに便利なもの、本人に必要なものを、取り入れることなく「陸の孤島」のようになっていく様子も見られました。

デジタルの歴史を紐解くと

「2008(平成20)年にソフトバンクを通して「iPhone」が発売される

 2010年4月3日、米国で初となるiPadが発売された。日本では同年の5月28日より発売」

ここから、一気にデジタルが普通にある社会・暮らしにはなっていきます。


おめめどうの「おはなしメモ」のあの吹き出しを考えたのが。2006年でした。あれは、LINEの形です。LINE生まれたのが、2011年です。発想は早かったんです。


「アナログ」での支援ツールを使うことに慣れている人たちは、「デジタル」のツールを使いこなすことは、比較的容易であることは、お分かりになるでしょう。「アナログ」で体感、実感しているものを、「デジタル」に置き換えたらいいだけですから。

でも、残念ながら「アナログ」での支援ツールを使うことをしてこられていないと、「デジタル」が暮らしのツールにならず、「遊ぶもの」「エンタメ」「ゲーム」にしかならないこともよく見かけることです。

「PECS」をされている様子を見ると、「アナログの絵カード交換」を十分こなしてから、「IPECS」に移るようにされていますが、それと同じように、できたら「デジタル媒体」を利用する前に、「アナログ媒体」でのきちんと意味と役割を伝える、本人が使えるようになるのを、私はお勧めします。

例えば、タイマーとかもスマホをいきなり使わないで、本人にわかりやすい単体のタイマーを使うなどをしていくってことです。

もちろん、絵カードであれば、「取る&差し出す」という動作がいります。タブレットのシンボルなら、「押したら音がなる」ことで周囲に知らせることができます。その、「様式」「用途」が違いますから、本人のスキル・動くところ(杖の役割)に合わせるわけですが。特別ことが必要でなければ、「シンプルな使い方」をしていかれるといいでしょう。

でも、いずれにしても、「ツールがあっても、使う人と人との間に関係性がないと、使えない」のです。周囲に伝えたい、周囲に聞いてもらえる、周囲が受け止めてくれる。だって、ツールはあくまでも「人を動かす道具」だから。いくらボタンを押したり、カードを出したり、丸をしたりして、ツールが使えても、人が動かないとただの「絵に描いた餅」ですよ。

また、本人の「したい」があって、その後に「じゃあ、このツールで」とならなければならないのに、「タブレットがあるから、使わせよう」とか、「コミュニケーションブックを作ったから、使って欲しい」というのは、「本末転倒」で、本人に身につかないことが多いです。

 「先に、ツールありきではなく、人ありき」「人のありようによって、ツールはあるべき」

 でも、「ツールに囲まれる」ことなくしては、知的・発達障害のある人に「そのことも伝えられません」(本人は知らない)し、「使い方をマスターもできません」。なので、おめめどうでは、まず「巻物カレンダーを貼りましょうよ」「コミュメモがある暮らしにしましょう」と話しています。

 そこに「本人のわかる、好きな、選んだ」ものを貼っていく、書いていくことで、人が動けば、本人のものになっていくからと。


 ダダさんは、スマホもタブレットも持っていません(家にはあるから使ってはいますけど)。それらは、「子育て期」が終わってから、やってきたからです。

 ダダさん以降の子供達はたいてい、スマホ・タブレット世代ですよね。

 これも、時代ですね。

 もちろん、テレビ・パソコン・タブレット・テレビゲームなどずっと楽しんでいますけれども、深刻な「ネット依存」という現象が起こらなかった、最後の世代くらいになるんじゃないかなと思います。パソコンの良いところは、持ち運びができないことです(場所が決まっているから、離れることができるんです)。


 時代を(社会の様子を)見ながら、どんなものが売れるだろう?役に立つだろう?と考えるのは、とても楽しく、大好きでした。

 けれども、私が「アナログ」にこだわって、「デジタル」に手を出さないでいるのは、「デジタルに明るくない」ということもあるけど、全員が全員、デジタルに移行するわけではないからです。

 必ず「アナログ」は残るんです。アナログが必要だという人・場面が。

 いくらkindleが拡大しようが、オーディブルが広がろうが、紙の本がなくならないように。


 その人にとって、使いやすいものを使えばいいんです。本人のニーズによって(周囲のデマンドではなく)開発されて、市販されていけばいいのです。


私は「紙の本」を憎んでいた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15708277.html


続く