祈祷師やのうて、子供の方を信じたり〜な(2015年11月28日のメルマガ)

★こんにちは、ハルヤンネです!

昨日ネットのニュースで、こういうのがありました。<当時7歳の糖尿病の男の子の両親が「息子は『どうして僕だけ注射を打たないといけないの』と嫌がっていたので、祈祷師にわらにもすがるような思いで頼んだ。」とのこと。結果、治療がされず、その男の子は亡くなってしまいました。>

「なんで、自分の子供の方を信じへんねん。そのけったいな祈祷師やのうて!」と思わず声がでました。「注射を打たないといけないの?」と問われたら、納得するまで説明したらいいでしょうに。わかりあえる・伝えあえるコミュニケーションができる関係性があるなら、きっと伝わるのに。子供を信じられなかったの?と。

でも、その「わらをもすがる想い」は、少なからずわかります。子どもに障害があると診断されたとき、(私もそうでしたよ)多くの親御さんが、この「わらをもすがる想い」で、ドクターショッピング、療育・セミナーショッピングに走るんです。手当たり次第に本を読み、嘘か誠かわからないことでもやってみる。しないとおれない気持ちになる。

それは、障害のことを否定する気持ちが根底にある(障害受容ができてない)からであって、我が子のことを思って「なにかしている自分」でいなければならないという強迫的な想いであって、「本人のことを考えている」ように見えながらも、親の自分勝手な行為でしかありません。もちろん、それを経て、本当のことがわかってもいくのですが・・。

そして、怖いのは、そうなる親の心理を逆手に取る人たちがいるってことです。今回の「祈祷師」のように。胡散臭いものは、自分も学んでいくうちに、まあ気がつくでしょう。でも、そうじゃない「わらをもすがる先」もたくさんある。予約を取って、何回も足を運ぶけど、いつも「じゃあ、様子をみてください」で終わる専門家。「次はここができるようにやっていきましょう」とできないこと探しばかりをする療育家。それも、今回の事件とそんなに変わらないと感じました。ただ、「死んでない」ので問題にならないだけで。

「もっと子供を信じたらいいのに」と叫んだとき、でも、 私たちも「障害のある子ども・当事者」より「専門家の言葉、支援側の意見」を信じていることが多いのではないかなに気がつきました。悲しい事件ですが、「自分は、いったい誰に向かって何をしているのか?」を見直してみるきっかけになればと書きました。

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