15周年物語 4

ハルです

記者さん「そうか、自作なら、できない人は困りますよね。ああ、繋がりました。奥平さんは、おめめどうをするまでは、自作をされていたんだ。それを、各地で話しておられた。だから・・・」

そうなんです。自作を見せていた。から、誰もしなかったんです。できない人から「奥平さんだから、ダダくんだからと言われて」。

おめめどうをした後、中学生以降も、もし、私が、幼児期から小学校までしていたような自作を続けていたら、学校の先生がよう作らないとなれば、私がずっと作らないとけないんです。

今年の先生が作ってくれても、次の年には担任は変わってしまう。誰が作るんです?いつのまにか、いらないよね、ダダくんだいたいわかるようになったし、いえば動くしみたいになっちゃいますよ。すると指示待ちの道へ一直線。そして、こだわり、行動障害のレッテル。

だから、それまでの自作を、おめめどうで、全て市販のものにしていったんです。カレンダーから始まって、みとおし。えらぶ、◯×。とけい・・。

それに変えていったから、だから、うちの息子もスタッフの子供たちも、小中からは途切れなく、成人期もどこでも手立てをしてもらっているのです。

もう、自作する必要がないから。グッズを持っていけば済むから。

でも、こんなシンプルなデザインのものは、簡単に真似ることができるんです。横長のカレンダー、縦に並ぶ予定表、◯×のメモだって。そうして、たくさんの方が自作をされる。そう、パクリですね。でもそうすると、おめめどうの商品は売れなくなります。で結局、おめめどうが廃業してしまったら、それを使って快適に暮らしているたくさんの子供達や当事者の人に届かなくなってしまうんです。

なので、パクらないでください。買って使ってください。そうして、次の人に、別の場所に、同じように使ってもらえるように繋いで欲しいんです。すると、本人の今だけじゃなく、将来も助かるからと話しているんです。

まあ、そこまで考えることはされないと思いますが、私は経験してきたので、もう見えてる。


それを、福祉で商売にしてと、嫌われてもいます。でも、嫌う人たちよりは、私の方がおそらく正しいと思います。批判、批難は、すべて嫉妬と、最初にTEACCHプログラムを持ってきた佐々木正美先生に教えていただきました。佐々木先生も相当なバッシングがあったからでしょう。

それから、これはパクリとも関係するんですが、この業界は財布を握っているのが、親や支援側なんです。本人じゃない。だから、本人に必要なものでも、「もったいないわね」と買わないんですよ。障害のある本人のことをエンドユーザーといい、親や支援者のことをセカンドユーザーと言います。

福祉やセカンドユーザーが財布を握っているから、適切なことがつわりにくいんです。親は障害を治したいとなると、そっちにはお金をかけますよ。本人の暮らしやすさ以上にね。だから、お習い事や学習教材は売れる。

でも、本来必要なカレンダーであったり、予定表であったりすると、あら、高いわね、家にある7コマ式でもいいや。7コマ式がわかるようにしなくちゃいけないしとなっていくんです。

親は障害のことを忌み嫌う、スティグマが多いと、「もっとここを治さなきゃ」と言われたら、「そうだわ」とお金を出すんです。それが、もし1割負担だったりしたら、親は気にもしないでしょう。行政が9割だしてくれるんだから。

だから、脅せば簡単にお金がおりてくる仕組みになっているので、利権がはびこるんですよ。それが、「本人ためですよ」という偽善的な顔をしているんです。「もっともっと」と脅せば済むんです。

佐々木先生がTEACCHプログラムを日本に紹介し、視覚的支援を持ち込んだ時、それまで抱っこやふれあいじゃ、受容じゃといって幅を利かせていた人は、猛烈に反対したと言います。だって、自分たちの言っていたことが嘘だとわかって、お金も降りてこなくなるんですから。だから、批判は、すべて、嫉妬なんですよ。

私は、本人が財布を持てばいいのにって、思います。それなら、療育に行くのにお金を払いたいというのか?プリント教材にお金を払いたいっていうのか?

でも、きっと「おめめどうグッズ」にはお金を払ってくれると思います。それに、おめめどうグッズは、年金でも、子供でも、払える値段にしているし。

お祝いのメッセージの中に、当事者の声がいくつもあるんです。嬉しいですね。そんな当事者が、「これがよかった」というものは、他にはないんです。療育や訓練で、通ってよかった、お金を出して治してもらってよかったって、彼らは思わない。だって、先天性障害だから。

当事者が買える値段にするためには、薄利多売をしないといけないんですよ。だから、パクリには私はうるさいんです。

そこまで考えている人は、自閉症圏(特に療育系の人たち)にはいないと思いますが(でも支援機器関連の人たちは、この理屈がわかってくれるんですよ)。

私は、負けないで、やってきてよかったと思っています。


続く