考えようとしても、お菓子を鼻先にぶら下げられてしまう(2015年4月19日のメルマガ)

自分の失敗を書くのは、とても辛いし、切ないことがあります。

でも、多くの自閉症のお子さん、成人さんが、かつての息子のように、提案されて、不機嫌になっておられるし、また、親御さんも、一生懸命なのに「すべってる」。

それが、うちの「失敗」を話すことで、少しでも回避し、ご家族が楽になるなら、それでいいかなと、思っています。

★こんにちは、ハルヤンネです!★

息子も仕事がある日と、ヘルパーさんと過ごす日と、家族と過ごす日と明らかに違いますね。準備の速さとか、まったり感とか。仕事の日は早く、ヘルパーさんの時はまったりしています。家族といるとしてほしいことがでてくるのか、かえって落ち着かない感じ(笑)

大人になってから「きっと小さな頃からそうだったんだろうな」と思うことがよくあります。なにかことがあるときは緊張して準備も早めにしていただろうし、一日中家にいるときは、パソコンをやめるのもゆっくりだったのだろうなと。そんなのを気にしたことがなかった。

ブログで「窮屈だったろう、ごめんね」と書いたら、それを知りたいとお便りをもらいました。表現が漠然としていますね。例えば、上記のような、日によっての変化にはなぜ気がつかなかったのか?それは、こちらがさせる、こちらが誘導することが多かったから。自分から計画して動く暮らしになってからは、自分でタイミングも決めますから、ああ、今日はこんな気分いうのはよくわかります。本人が自分で考え動くまでに、親や先生が仲介してしまってること多いですよ。なので「いつも不機嫌なんです」になったりしてしまう。

食事で話しましょう。「もういらない」のならもういらないのに、「いつでも食べられるように残しておいたり」ね。自分で判断してるのにそれを信用しない。なので、残してお腹空いたことを、学ばないのですね。

ショートステイに行きかけた頃「給食の食べが悪いので、お菓子をもたせたらどうでしょうか?」と支援員さんに言われて、「そうですね。じゃあ、本人に選んでもらいます」とイライラさせてもと思った私も賛同し、お菓子を選んで持っていくのですが、支援員さんが管理されるので、余計に怒らせるとか。今なら、そんなこと考えられないです。「給食の食べないのは、本人の問題だから、自分でなんとかするでしょう。もし気になるなら本人に聞いてください」となる。

なんで、私は本人の問題を取り上げてきたのだろう。だから、子供が見えていなかったのだなとわかるのです。今も「@@の問題が起こったので、先生(支援者)と親で対策を考えなきゃ」とされている親御さんいらっしゃる。それは、私の以前の姿です。さも、頑張ってる親のように見えるだけに、やめられないのですよ。でも、それは、ただの「邪魔」以外の何者でもなかった(なんていうと、ショックかもしれませんが)。本人を窮屈にしてしまうんです。どこまでも親が追いかけてくる。

自分のことを自分で考えようとしてるのに、すぐに「提案されてしまう」(腹が空くな?じゃあ、どうしようかな?と思っているときに、「お菓子」が鼻先にぶら下げられてしまう)。

「じゃあ、俺ってなに?」「なにしろっていうの?」

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