cnann0

Creepy Nutsのラジオのこと。書くよ、と言ってからけっこう経ってしまいました。

今や日本で知らない若者はいない、知らない大人もいない、知らないおじいちゃんおばあちゃんもいないかもしれない、hiphopユニット。
ふたりのラジオが今年度いっぱいで終わってしまうらしい。

びっくり。終わると思ってなかった。タイムライン上でもみんな言っていたけど、あのふたりはずっとラジオを手放さないんだと思っていた。
これは別に非難しているわけではなくて、ふたりがやりたいのが音楽なのはわかっているし、厳密に言えばラジオを「手放した」わけでもないだろうし、そうなんだね、決めたことだもんね、という気持ち。


オールナイトニッポンは略してANNという。正直私はCreepy Nutsの「ANN」はぜんぜん聞いていない。深夜三時からの「ann0」のころは必ず聞いていて、できればリアタイしていた気がする。深夜ラジオは深夜に聴くのがいちばんいい。

深夜ラジオのよいところは、時間になるとリスナーもパーソナリティーもスタッフもそそくさと集まってきて、みんなであほをやるところだと思う。ラジオが始まる前の「そそくさ」感が、なんかいい。

深夜の、地下の薄暗い裏通りみたいな空気感と、寝てなきゃおかしい時間に起きている罪悪感。もうあとは寝るだけの状態であったかい布団にもぐっている体。仮眠あけのぼやぼやした頭の中。真っ暗な部屋の中で、そこだけ昼休みのように能天気でうるさい耳元。そばには誰もいないのに電波のさきにはみんないる。体は一番安心できる場所で寝ているのに、耳と脳だけはだんだん覚醒してきて、電波を追いかけいきいきと動いている。楽しくておもしろくて、たまにじっくり考えたりする。深夜ラジオを深夜に聴く、という経験がないと、一生わかれないおもしろさ。

そういうことを、cnann0で知った。

いまの私に大きく残っているものが、もうひとつ。いつだったか忘れたけど、松永さんが「ラジオを聞くとその人の考え方とか人となりとかがぜんぶわかる」みたいなことを言っていた。

私は推しというか応援したくなる人というか、例えばTwitterの通知をオンにしたくなるような人が、かなりのスパンでできていくという悪癖を持っている。cnann0を聴きだしてから、新しく応援したい誰かができたとき、まず探すのが「ラジオ」になった。

気になったアーティストや芸人さんはまずラジオをやっていないかどうか探す。やっていればradikoやポッドキャストやGERAで聞くし、やっていなかったらYouTubeの公式チャンネルで雑談メインの動画を探して聞く。素に近い会話の空気感とかが知りたいのだ。今やラジオがないと生きていけなくなっている。

誰かのことを知りたいときは、まずラジオ。これは今後もずっと、私のやり方になって残っていくと思う。そしてその「誰か」のラジオを探しているとき、必ず、cnann0のことがよぎるんだと思う。ひょっとしたら、一生そうかもしれない。

それから!もうひとつ、忘れていた、何よりもだいじなこと。Creepy Nutsというふたりを知れたこと。いずれ知ることにはなっていただろうけど、その入口付近にラジオがあってよかった。人間くさいふたりを見ることができたから。これからも、遠くからにはなるが、にやにや見守らせていただこう。


今はあんまり(ぜんぜん)聴いていない不真面目リスナーですが、誰からも愛されたあの番組の歴史のはじっこのほうに自分が触れていたことは、この上ない誇りです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?