ネットスラングとしての「脳死」

SNSでは、いろんな言葉が流行る。
ネットミームに紐づいたハイコンテクストなものもあれば、単純にどなたかのキャッチーな言葉選びがウケて投稿がバズり、特定の言い回しが定着するものもある。(以下、「ネットスラング」と記す)

そしてそういう言葉たちは、往々にして過激だ。
既存の言葉では感情の高ぶりを伝えきることができず、知っている言葉の中でもより過激なものを選び、その表現はどんどんエスカレートしていく

「語彙力不足だ!書物を読め!勉強しろ!」ということが言いたいんじゃない。決して。
どれだけ語彙を身に着けたとて、そこに望みの言葉があるとは限らないし、だからこそ人は文章を書くんだ。多分。
だから、問題はそこじゃない。

なかでも私は「脳死」というネットスラングを知ったときに、SNSの過激な言葉遣いについて立ち止まって考えることになった。

近年のゲームでは『脳死プレイ』と呼ばれるプレイングが存在することがある。

『考えることを放棄出来るほど一方的且つ手軽で強力な戦法や武器』或いは『慣れすぎて思考停止して操作してるだけで簡単に戦う様子』が一般的な具体例であり、その類いは段々と面白味が無くなって虚無に浸るというのがお決まりのパターンであり、前者はゲームであれば大体は下方修正が入る。

なお揶揄的な意味では『対策や攻略は頭で何も考えてない下手くそプレイヤー』も脳死プレイヤーと呼ばれる。

ピクシブ百科事典

元来の意味は以下。

脳死とは、脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。

回復する可能性はなく元に戻ることはありません。
薬剤や人工呼吸器等によってしばらくは心臓を動かし続けることはできますが、やがて(多くは数日以内)心臓も停止します

日本臓器移植ネットワーク

見てわかる通り、明らかに意味が違う。
ちなみになぜこの言葉が引っかかったのかというと、おそらく私がゲームのプレイも実況動画を見ることもしない人間だからだ。
同じネット上とは言え、違う畑のものは少々冷静に見られるのかもしれない。

この「脳死」「脳死プレイ」という言葉を聞いたときにぎょっとしたのだ。
「考えることを放棄する」→「考える脳が死ぬ」→「脳が死ぬ」→「脳死」と文字に起こすとなんだか納得できそうな感じもするが、最後に「脳死」にたどり着いたのはその言葉がすでに存在しているからだと思う。

こういった実際に存在している言葉に別の意味が乗ることで、元の「脳死」という言葉がもつ意味の重さが失われてしまうように感じる。

脳死患者の家族が、インターネット上で「面白味がない」「虚無」「何も考えてない」という意味でこの言葉が使われていると知ったときにどう思うんだろう、と考えてしまう。

家族が脳死状態で入院している人だってSNSを見ることはあるだろうし、自分や友達の大切な人が明日そうなってしまう可能性だってある。
どこに当事者がいるか、誰がいつ当事者になるのかなんてわからない。
「考えすぎだ」と言われるかもしれないけど、それでも私は考えたい。

「脳死」というネットスラングは使ったことがないけど、それ以外の私が使っている言葉にだってそういうものはある。
(「地雷」「戦争」などのネットスラングは使うのをやめたいと思っている)

言葉の過激さを娯楽の中で無遠慮に消費したくない。
言葉の意味や背景を想像して、考えて、ひとつひとつと向き合いたい。
そういうことを意識して過ごしたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?