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幼児祝福礼拝

子どもの通っている幼稚園はキリスト教の園で
この間は"幼児祝福礼拝"というのがあった。

うちは特にキリスト教を信仰している訳ではないし、どちらかというと神社仏閣の方が馴染み深く、さらには八百万の神様がどこにでもいて見守って下さってるという方がしっくりくる。つまり、神様は誰でもよくて(笑)、子どもは家の神棚に向かって「アーメン」と言うし、私はマリア様のネックレスをつけて神社や寺に参拝している。

神様は誰であれ、この幼稚園でいつもお祈りしている様子を見て思ったことは、子どもたちがただ親に育てられてるというよりも、さらにこの親子を見守ってくださる神様がいると信じることは、私にとっても少し気が楽になる気がした、ということだった。私だけがこの子を育ててる訳じゃないって、なんか責任逃れのように聞こえるかもしれないけど、もっともっと大いなる存在が見守ってくれてると思うと頼もしく思える。もちろん、いいことだけじゃなくて、悪いことも起こるけど、それも含めてバランスがとれるようになっている。いいことも、悪いことも、ただそうなることに決まってたのであって、私ひとりの力でどうこうできるもんじゃないっていうことでもある。自分の性格の影響でこの子がこうなんじゃないかとか、母親なら特に思いがちだけど、全然違うタイプの子が生まれてきたりもするわけだから、やっぱりただ"そうなだけ"、としか言いようがない。

話がちょっとズレたけど、怖がりな息子もそんな風に、ひとつひとつのことを怖がって動けないでいるより、なるようになるみたいな根拠のない自信が持てたらなぁと思う。私もできる限り安心感を与えようとしているけれど、私がいくら言ってもダメだったり、やっぱり私も人間だから、いつも安定している訳じゃない。だから、神様という存在がよりどっしりと守ってくれてるってイメージできたらいいのになぁと思う。それで、この間の幼児祝福礼拝を受けてきた息子に、「神様がいつも見守ってくれてるんやで。何があっても大丈夫やで」と話してみた。すると息子、「雷の時も?」「工事の時も?」と聞いてきた。雷や工事の音を怖がる息子。息子にとって、今一番守って欲しいのは、雷の音と工事の音なんだなぁと思う。

"このおさなごの上に幸せがたくさん訪れますように。"ひとりひとりの頭に手を当てて祈りのことばをかけてくださったチャプレンに感謝。

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