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S.S『下車前途無効』

 ふと思い立って旅に出た。目的地を決めず、路線図で最初に目についた駅までの切符を買い、電車に乗った。
 馴染みのある景色、住み慣れた街を後に、初めての、再び来るかどうか分からない街を一人電車に揺られていく。同行者がいてはなかなかできない、こういう気ままな旅がいい。
 車窓を流れる風景を見ながら、ふと惹かれたら降りる。切符には下車前途無効と書いてあるので料金が多少惜しくはあるが、ぼくは行き当たりばったりの旅が好きだ。
 散策してみると思ったほどではないこともある。直感など当てにならないということだが、それもまた旅のうちだ。名所旧跡、人の集まる所に行くことだけが旅ではない。日常から離れた時間を過ごせればそれでいい。
 日が暮れると電車が混み始める。家路に就く会社員や学生、塾に行くのか子供の姿もある。ふと自分だけが決まったルートから外れている寂しさを感じる。判で押したような毎日も、そこから離れてみればありがたく思えるものだ。
 駅前のビジネスホテルに宿を取り、コンビニで買った弁当で食事をすませ、明日に備えて早めに眠る。ぼくにとって旅は道中を楽しむものであり、観光や食事は二の次なのだ。
 翌日も気ままな旅を続けた。適当な目的地までの切符を買い、何度か気ままに下車をして、もはや自分がどこに来ているのか分からなくなっていたがスマホもあるし、帰れなくなることはないだろう。
 ある無人駅で下車した。今時珍しく自動改札ではなく、一昔や二昔どころではない昭和を思わせるような駅だった。切符をここに……と書いた箱が目についた。だいぶ先まで買っていたが、ルールなので仕方がない。切符を入れ、改札を出た。
 駅の周りも初めて来たはずなのにどこか懐かしい景色が広がっていた。日差しは柔らかく、風は優しい。ゆっくりと流れる時間を感じながら、少年時代に戻ったような気分で散策した。田舎ではあるが、不思議なことに人に会うことも、車と擦れ違うことすらない。生活感がなく、人の気配がしない。
 スマホを開こうとしたら圏外。少し不安になってきたが、こういう時でも腹は減ってくる。店も何もないので昨日買っておいた菓子をかじりながら駅に戻ってきた。
 降りた時には気づかなかったのだが、この駅は変だ。路線図もなければ券売機もない。時刻表すら見当たらない。確かにさっき電車がここに停まったし、改札の向こうにホームも線路もあるのだから駅であることは間違いないのに、一体ここから電車に乗る人はどうしているのだろう?
 さっき箱に入れた切符を取り戻せないかと思い、手を伸ばすと、
 ガシャン! 金属音がして改札が閉まった。中に入れない。
 どうなっているんだ?
「切符を……」
 箱に書いてあった文言に愕然とした。
「切符をここに入れる前に、今一度考えてみましょう。あなたがお持ちの切符は人生の切符です。大切にお持ち下さい。ここに入れると回収され、下車前途無効となります」
                              〈了〉

※下車前途無効……途中下車するとその先の区間の料金を支払っていても無効になり、進めなくなるという決まりです。

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