最近の戯言

 最近日本は何かと騒がしい。
安倍さんが銃撃されてお亡くなりになり、それを追うように選挙が始まり怒涛のように終わった。私の生活は何事もなく回り続けたけれど、何の影響もなく過ごしていたとは言い難い。
わりと自他の境界がはっきりしていて、興味のないことにはとことん無関心でいられることが私の長所だったはずなのに、今回はSNSに流れる言葉や主張に随分と疲弊してしまった。込められた感情の強さに心がついていけなかった気がする。
「暴力を許すな」
「民主主義を守れ」
「選挙の一票を同情的な気持ちで使うな」
「●●党はダメだ」
「投票率が伸びないのは●●のせいだ」
威圧的で断定的な言葉。誰かを貶める主張。結局何も変わらなかったという絶望。どうせ何も変わらないという諦め。期待を裏切られた失望。理不尽に対する怒り。
どれも正当で、皆自分の生活を守るために声をあげている。だからこそ一歩も引かず、だからこそしんどい。真っ直ぐ立っていたいのに、いろいろな方向に流されては戻るを繰り返すことがなんだかすごく億劫だった。

 だから私は防衛を選んだ。見たくないものはシャットアウトして、好きなものだけが目に入るように。
でもそういう態度を不誠実と思う人もいると知った。逃げるなとか、もっと一生懸命に考えるべきだとか。大変ごもっともだと思うが、余計なお世話である。
社会の流れに上手く乗れる人も、しんどさを抱えながらも、必死で向き合おうとしている人も格好いい。心から尊敬できるし素敵だ。どんな形であれ自分の意見を発信するのはネットといえど勇気のいることで、それをできる人はすごい。私も日頃から思ったことを発信できるように努力を惜しむつもりはない。
だけど、みんながそうしたいわけでもできるわけでもない。それを忘れて波に揉まれることを強制するならそれは立派な暴力だと思う。この数日私がしんどかったのはこの暴力性かもしれない。
波に乗ることを好きな人がいるように、ひっそり波打ち際で遊ぶ方が好きな人もいる。もちろん波打ち際にいる人は波に乗る楽しさを味わうことはできないけれど、それでもいい。自分で決めてそうしていることが一番大事だと思うから。
しんどかったら耳を塞ぎ目を閉じよう。それは恥ずかしいことではない。ゆっくり休んで回復して余裕ができたとき、また改めて向かい合えばいい。

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