15秒だけ世界を入れ替えられるとして

 我が家の最寄りのバス停はおじいちゃんおばあちゃんの溜まり場になっている。
バス停の目の前には数百世帯が住む集合住宅があり、私もその中の一つに住んでいるわけなのだが、下町という土地柄のせいか古さのせいか、お年寄り率が高い。自宅から歩いてすぐの立地で、数人が並んで腰掛けることのできるベンチがあるバス停という場所は、彼らの憩いの場としては最適なのかもしれない。
駅に行くためにバス停に向かうとほぼいつも彼らはそこにいて、当然のように私に話しかけてくるのである。「今日も暑いわねー」程度の世間話に始まり、おじいちゃんおばあちゃんの話はとりとめがなく長い。そしてコミュ障で気の回らない私は反応に困ってしまう。
「一人で出かけて偉いわねー」
「あなたのことよく見かけるのよ。目が見えないのにすごいのねー」
「私も最近は目の前が霞んでねー」

 大前提として私は初対面の人と雑談することが苦手だ。何の事前情報もなく、どの程度の共通認識があるかもわからない相手とフリートークをするなんてとんでもない。控えめに言って胃が痛い。だったらバスが来るギリギリの時間に到着すれば良いのだが、乗り遅れるかもしれないという強迫観念が邪魔をしていつも優等生の5分前行動をしてしまう。
それに加えて、私自身に言及されてしまうといよいよスムーズな反応ができなくなる。
私は視覚に障害があるため、常に白杖をつきつつ外出している。であるので、とくに年配の方々から身に余る褒め言葉を頂戴してしまうことは珍しくない。
珍しくはないのに、私は未だに良い回答をひらめいていない。いつもあいまいに笑って流してしまうばかりで。その声音だけで心からの言葉だとわかっているのに。
白杖をついている、つまり体のどこかしらを病んだ状態で一人で出歩くことは、彼らにとってはすごいことなのかもしれない。今でこそ便利なツールが増えて生きやすくなったけれど、おじいちゃんおばあちゃんが私くらいの頃、きっと障害者はもっと不便で隔離された存在だったのだろう。
だから彼らの褒め言葉は本物なのだと思う。微笑んでお礼を言うべきものだ。
それでも躊躇ってしまうのは、彼らの当然が私の生きてきた世界とあまりにかけ離れているように感じるから。

 生まれつき視力が弱い人間は耳が良いとか感覚が優れているとか思っている人もいるかもしれない。それは半分は正しく、半分は正しくない。
たしかに感覚がとても優れている人はいるし、驚くほど耳が良い人もいる。私も会ったことがある。
けれど、当然ながら全ての人がそうではないし、多くの人は普通の感覚の持ち主だ。少数の天才と多数の凡人によって構成されているのは障害を持つ人の社会もそうでない人の社会も大して変わらない。
個人的な意見だが、障害を持つ人の多くは、たくさんの工夫と努力を重ねている。障害を抱えていない人が容易くできることがそうではなかったりする。少なくとも私はそうだった。
自分なりに試行錯誤し、何度も練習して、そうしてできるようになったことがたくさんある。個人差はあるにしてもそういう人が多いのではと思う。
いろいろな苦労や不便はあるが、私にとってそれらは当然のことだった。当然で、自然で、必要とされることを必要とされるだけ行なっているにすぎない。何も特別ではなく、褒められることでも哀れまれることでもない。
そういう前提があるから、どう答えて良いかわからない。もっとすごい人は他にもいるとか、自分を卑下するような気持ちがないわけではないけれど。一番戸惑ってしまうのは、彼らと私の認識のずれなのだと思う。

 生きてきた世界が違う。そうやって線を引いてしまうのは悲しいことだ。そんなんじゃ私たちは前に進めない。
だからといってどうすれば良いのか。彼らと私の時間が重なるのは、バスを待つほんの数分。そんな僅かな間に何をわかりあえると言うのだろう。
もっと伝えられたらいいのに。もっと受け取れたらいいのに。
もしも全てを入れ替えられたら。記憶、思考、五感。たとえば15秒間だけでも、感じている世界を入れ替えることができたとしたら。
私が見ている世界はたくさんの優しさに満ちていることを知ってほしい。彼らが積み上げてきた人生の重みを知りたい。
感じている世界を入れ替えることができたら、理解しあえるだろうか。他者を構築する物語を知れば、もう少し寛容になれるだろうか。
わからない。結局全てを共有できても、理解し合えるかどうかはその人たち次第のように思う。全てをつなぎ合わせたからこそ遠ざかるなんてこともあるかもしれない。

 一つわかるのは、そんな簡単な手段が手に入ってしまったら、私はこうして自分の思考を書き記したりしなくなるだろうってこと。
伝えたい。わかってほしい。知ってほしい。そう思うから書いている。全てを共有してしまったら、もう私は書けなくなるかもしれない。自分を削るように書くことがしんどいと感じているのに、伝えるために書かない私はなんだか寂しいと思ってしまった。

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