待ち合わせが怖い
唐突だが私は待ち合わせが苦手だ。待ち合わせというより待ち人を待っている時間が苦手なのである。
基本的に待ち合わせには10分から15分くらい前に到着することを心がけているのだが、そうすると大体において相手を待つことになる。数分のその時間が昔からひどく苦手なのだ。
相手が悪いと思ったことはない。別に遅刻をしているわけではないし、待ちたくないなら私がもう少しギリギリに到着すればいい話なのだから。ただチキンな私はそれもできず、悶々としながら今に至る。
余談だが、ヘタレな人間をチキンと評することには昔から違和感がある。なぜチキンなのだろう? 鶏は卵を産んでくれて肉も手頃で美味な素晴らしい生物なのに。
待ち合わせ場所に到着し、時計を見る。もう一本後の電車でもよかったのではないかと後悔しつつスマホを確認。相手からの連絡はない。
迷いなく流れていく人に混ざって、待ち合わせらしき人もいる。端によけて立っている人は私と同じように誰かを待っていて、急に早足になる人は誰かの待ち人なのだろう。
周囲を観察しつつ再び時計を確認。まだ来ない。
この段階で私は不安を感じ始める。
もしかして時間を間違えてしまっただろうか。いや、待ち合わせ場所が間違っているのかもしれない。私の影が薄くて見つけられないのなら申し訳なさすぎる。そもそも日にちが間違っていたらどうしよう。もし予定が今日ではなかった場合、どうやってこの恥ずかしさと悲しみを癒せばいいのだろう。
私の気持ちとしては「君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」という感じだ。自分に近づく気配を感じては待ち人かもしれないと期待し、通りすぎる人影にがっかりすることを繰り返す。感情がジェットコースターすぎる。
とくに人通りの多い場所での待ち合わせはエネルギーを削られる。視覚障害を持っているため人とうまく会えなかったらどうしようという不安もあるにはあるけれど、これはまた違うものだと思う。
流れ続ける人混みの中に一人で立ち続けることは言いようのない不安を覚える。自分がいつの間にか小さくなるか透明になるかして、実は私の姿は誰にも見えていないのではないか。どこかに流されて二度と見知った場所に戻ることができないのではないか。完全に妄想に取り憑かれている。
ラインのトーク履歴を確認し、近くの人に自分の現在位置を尋ね、日時と場所に確信を持ったけれど、今度は相手の安否が心配になってくる。
事故にあっていたりしないだろうか。忘れ物をして家に引き返したりしているのだろうか、それとも体調不良とか。スマホの充電が切れて連絡できなかった場合はどうしよう。
まさかドタキャン? いやいやそんなことはないはず、多分……。いやでも、私が何か不愉快なことをしたせいで行きたくなくなったという可能性はあるかもしれない。相手に連絡を取ろうかとも考えるが、待ち合わせ時刻を過ぎたわけでもないのに急かすようなことはできない。
ポツンと壁際に立つ白杖を持つ私を心配したのか、時々親切な方が声をかけてくれる。
「何かお手伝いすることはありますか?」
「ありがとうございます。人と待ち合わせしているので大丈夫です」
いつ来るかわからないけどね、と内心で付け加えて落ち込む。ちゃんと会えるだろうか。
そもそも私はなぜこんなに待ち合わせが苦手なのだろう。基本ポジティブな人間なのでこれほど最悪の想定をすることはないのだけれど。前世で駆け落ち相手にドタキャンされた過去でもあるのだろうか。
こういう経緯があるので、待ち人が現れたときの安堵と喜びといったら意識せずに笑みが溢れてしまうほどで。先ほどまでの不安を綺麗に塗り替えてしまうために私は毎回待ち合わせ場所で苦悩することになる。
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