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*012 労働信仰

試しに、仕事を辞めてみた。
理由は色々あるけれど、ずっと四六時中仕事のことを考える生活を好んでしてきたけれど、それが無くなったら何をするんだろうか。と、思った。
仕事をしていない状況が不安で、アルバイトでも何でも今すぐ始めよう。とか思うだろうか。とか、めちゃくちゃ旅とかするんだろうか。とか、燃え尽きて何もしなくなるのだろうか。とか。

1.5ヶ月ほど経ったけれど、私は一日中無益なことを考え、しばしば有益な勉強をし、無益なものを設計しては有益な実験をして過ごしている。
そして、やりたいことに無作為に手を伸ばした結果、とっ散らかった毎日に追い捲られて生活している。
毎日、誰にも求められていないノルマが忙しく、勝手にやろうとしていることが追いついていない。始めてしまったあれやこれやが膨大で、そして、毎日が妙に過酷で楽しい。無謀な受験生の様な気持ちだ。

そして、仕事をする暇なんて、どこにも無いな。と、荒涼で雑多な景色を清々しい気持ちで眺めている。今は。

自分は、外圧が無ければ何も出来ないのだと思っていた。
誰かが見ているから、絶対に開けなければいけない日が来るから、自分はどうにかやれているのだと思っていた。まぁ、それは実際にそうなんだけど。
でも、そうじゃない部分が自分の中に僅かにでもあったことが分かっただけで、毎日じゃらじゃらお釣りが来る。
自分の労働への信仰を、まだ信じられる。と、思った。

この日々がどこにつながっているのかなんて知らないし、正直興味も無い。
何になるのか分からないし、特にどこも目指してはいない。という状況自体が、これ以上に無いほど贅沢なことだと思う。