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終わりがあることの美しさについて
秋。子どもたちの学芸会や合唱コンクール、部活の引退コンサートなど、イベント目白押しだ。もう涙が止まらない。私はプロのライブや舞台でもっと上手なパフォーマンスはいくらでも観たことがある。だけど、こんなに胸を打たれ感情が揺さぶられることはない。なんでだろう。
それは「終わりがある」から。今の彼らは明確に終わりがあって、その中で精一杯生きている。そのヒリヒリするような生き様が、たまらなく美しい。このメンバーで歌ったり、演奏したり、演じたりすることは、今日この時間以外二度とない。その時間を本気で生きている表情を見ると、涙腺がゆるみにゆるんでしまう。えーん。。。
大人になると「終わり」が曖昧になりがちだ。それはすごくラクなこともある反面、弛緩しがちだよなーと思う。最近、周りで素敵だなと感じる人はプロジェクト単位で働いてる人であることが多いんだけど、それは比較的に明確に「終わり」があるからなのかもしれない。
子どもたちには自分からすでに失われた終わりの美しさを追体験させてもらって、本当にありがとうって感じ。「クラスで打ち上げにファミレス行ってカラオケ行って卒業式終わったらまたみんなで遊びに行こうって約束した」と中3の息子が泣きはらした顔で帰ってきたのを見て、それだけでもらい泣き。
子育ては青春の追生産だなと思う毎日だ。でも、子育てって終わりの連続なのに、それが終わりと自覚できないからなんか切ないなと思う。
最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て
ほんそれ。だから「終わり」を意識できることが新鮮だし、うらやましいのかもしれない。
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