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僕なりの誠実さは、誰にも認められない。

センテグラフ #5


一度書く気が起きたらスパスパ書けてしまいます。
数ヶ月止めてたのに、4日間で2記事目。
本当に僕は気分屋です。
それだけここ最近、自分のメンタル面や身を置く環境の状況が急速に変わっているのです。



さて、今日の話は"僕なりの誠実さ"についてです。

僕は昔から、少しの恩義だったり、ほんの小さな関わりを大事にする人間です。
義理人情を大切にする性格なのでしょうか。
それ故に、身の回りの他人が関わることに、僕は少々本気で考えがちです。


たった一つの友達との遊びでも、とにかくどう過ごすかをハッキリさせたいタイプです。
先ほど気分屋とは言いましたが、それは自己で完結する話。
人と過ごす時間は、曖昧だと相手にも失礼になる気がしますから。


このように、僕は他人に対しては結構"熱い"のです。


ちょっとした気遣いを拡大解釈し、その人に対して何年も何年も恩義を感じるのです。
でも、自分の中では本気で拡大解釈とは思っていない。
本気で救われたと思っていますし、世話かけてくれる人にはその分の恩義を示すことが礼儀だと思っています。


それに年齢は関係ありません。


自分が人を集めて遊ぶ時には、本気で嬉しく思ったりもします。



けれども、これを重いだとか、いちいち考えすぎだって言われたりします。


自分でも、そう思うときはあります。


けれど、ちょっとした恩義を感じられないくらいドライな人にはなりたくないのです。


むしろ、どうしてドライになれるのかがわからない。


僕は素直に嬉しい気持ちを抱えるのです。
それは周りに誠実でありたいから。


確かに、他人から見ると一見僕はそんなに本気になる人間ではないように思えるでしょう。


以前、もう削除してしまったであろう記事にて
"独りでいる時の自分と、人といる時の自分は別人格である。"
ということを語った気がします。


人は皆、そうであるとは思います。
けれども、自分はその変化の度合いが大きいと感じているのです。



人といる時の自分は、簡単に言えばお調子者です。
冗談が大好きでお茶目な若造ですね。


時折、"僕はお茶目だから"と冗談めかして言うことがありますが、そのように言いつつも割と本気で自分はお茶目だと思っています。


あまり考えずおちゃらけ、時にはイキる。
そのくせ中身は、責任感は強いわ他人との関わりに熱いわ。
確かにギャップが大きすぎるかもしれませんね。


けれども、この僕の素直な気持ちが、なぜ届かないのだろうと思いを馳せてしまいます。


人の素直な気持ちを享受しないような、そんな薄情な人間は、僕ならなりたくない。



まぁ確かに、面倒なんでしょうけどね、今の時代。


たった一個人の情熱にはフォーカスされませんから。


この僕の素直で自分らしい誠実さを認めてくれた人間は、今まで見たことがありません。


今日も僕は、人といる時はおちゃらけつつ、自分と関わってくれる全ての人間に大きな恩義を感じながら生きています。


これを認めてくれる、俺と同じような素直な人間はいらっしゃるのか。



目の前の個人には乾き切った視線を寄せる現代において、意外と絶滅危惧種なのかもしれませんね。



この感情は大事にしたいし、分かり合える人を見つけたい。




p.s.
とあるコミュニティで、2年間ずーっとぼっちで、ようやく仲間ができてその人たちと遊んだ時、僕はふと想いが昂って"まじで嬉しいんだ俺。2年間我慢してきたから。本当にありがとうな。"って言ってしまったのです。
そしたら"重すぎ。笑"と言われてしまいました。
僕の責任感や本気は、いつも嘲笑われる対象です。
悪いことじゃないとは思うのですが。
確かに面倒なのかな、俺。
扱いづらい奴かもしれません。

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