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Twitterで覚醒!頑張る人を応援する話!

あなたが最初に感じたTwitterのイメージはどんなものでしたか?

あなたのTwitterのイメージはどんなものでしょうか?
年齢や性別、職業、価値観などの個々の背景によっても大きく異なると思いますが、私のTwitterの第一印象は、あまり良いものではありませんでした。


「Twitterはネガティブな情報の集まるプラットフォーム」という認識から始まったせいでもあります。
炎上、誹謗中傷、フェイクニュースといった現象に対して、あらかじめ持っていた先入観や固定観念が影響しています。
その結果Twitterに対して、良い印象は持てませんでした。


※既に社会一般では【Xエックス】と言われていますが、今回はTwitterとしての表現で記事を書くことを了承の上で読み進めください🙇‍♀️


Twitterの一般的に伝わる悪いイメージを検索してみた結果

未確認情報や意図的偽情報の拡散によるフェイクニュース拡散や個人や特定を狙った誹謗中傷、嫌がらせにみられるオンラインハラスメントの数々。
プライバシー侵害の懸念や意図的な挑発や不快行為に見られるトロール行為
同じ意見や情報が回り対立意見が排除される傾向の極端なエコーチェンバー
不正アクセスやセキュリティの脆弱性からのアカウントに関するセキュリティ問題があります。


幸せの青い小鳥は何処に‥‥

実際にTwitterを始めてイメージが変わった事と活用方法

Twitterを始める前は、自分とは無関係なプラットフォームだと思っていました。
しかし実際に体験することで、そのイメージは大きく変わりました。
災害時や緊急事態の迅速な情報提供と共有のシステム。
公式機関からの情報共有に加え、現地の人々からの最新情報をタイムリーに把握できるなど、繋がりを深める強力なツールである事を経験しました。

Twitterを通じての経験から、個人ユーザーから大規模な組織に至るまで、その多様性と未来への可能性を実感し、実際にやってみてTwitterの持つ価値とその経験が自分の成長に繋がったと思います。

「やる」と「やらない」。「知る」と「知らない」では、こうも違うのか!を実感する日々です

Twitterをはじめたキッカケの話

私がTwitterを始めたのはウルトララーニングの講座がキッカケでした。
先生が受講生の練習用に定期ツイートをしてくれました。
初めは画面迷子で中々目的の画面にたどり着けませんが、何度も繰り返すことで、①いいね🖤と、②リツイートが、出来るようになります。

プロフィールやヘッダー設定を完了したら、いよいよ投稿です。
悩みながらも一つづつ目標を立て、出来ることを増やしていきました。

そこで気付いたのは、世の中には頑張っている人が沢山いる事、その頑張りは人それぞれに、こんなにも勇気をいただける場所、反対にあたえることが出来る場所だということでした。

WordPlessにTwitterに関する記事を書いて理解を深めました。


「生きやすく自分らしく過ごす」呟きをしてくれる、おしげさんです。

おしげさんの、やさしくしたいのに‥‥は、心にスーッと入ってきて、やがて涙に変わる心に響いたツイート内容でした。

全文を紹介しますね。
「本当に気をつけたい。いちばん近くの人をいちばん大切にしたいのに気がつけば、いちばん我慢させたり、いちばん怒ってしまう」
今でも、何かあるたびに思い出しては自分の戒めとしている言葉です。

おしげさん、連絡もせずに突然載せてしまって申し訳ありません。
先にDMをすればよかったと、アップしてから気がつきました。
申し訳ありません🙇‍♀️

67年間生きて来ても、せいぜい自分の子供時代、学校、職場、家庭の4~5くらいの生活しか知らない私の狭い人生経験です。

それが今まで知る由もなかった事で、気づくと世界が広がっていました。
誹謗中傷やフェイクニュースで批判の対象になることも過去にはあったTwitterですが、こんな「良品」の使い方があるのだと開眼した時でもありました。

そこに「しんたろ。白血病と闘う がんサバイバー」が飛びこんできます。
今年2月に入ってから突然のことです。
見ず知らずの人です。

もらって嬉しいのは何でしょう‥‥貴方だったら何かしら‥ (✿◡‿◡)

「しんたろ。白血病と闘う がんサバイバー」を応援する話

今から40年前、地方都市の中核病院で新卒医療従事者として働き始めた私の話です。
入職して半年経過時に、原因不明の発熱で入院しました。
検査を重ねるうちに主治医から「骨髄穿刺」の説明をされます。
「マルク?ロイケミー‥」少しは医学知識のあった私は不安のドン底に落ちます。

ただの発熱だけと思っていたのに‥‥そこに、上司が見舞いにきます。
「医療従事者は◯なない程度に大きな病気をしたほうが患者さんの気持ちが分かっていいのよ‥」と、声をかけられました。
励ましの言葉かもしれませんが、「病気の人にかける言葉として、それってどうなのよ?」今なら思います。

でも時は、1981年、昭和56年。「不適切にもほどがある!」を地でいくような時代背景です。
それをどう受け止め反応したかは、もう覚えていません。
ただ言われた言葉だけが記憶に残りました。不安だった気持ちの記憶も薄れ67歳の私は、こうして【note】を書いています。
私は運良くこの病気から逃れられましたが、他人事ではないのです。





この病気は一人で闘うには厳しすぎるのです。誰でもいいのです。一人でも多くの応援が必要なのです。家族や知り合いじゃなくても、何かの縁で繋がった、細い細い糸でも手繰り寄せては太いロープになるように、応援したいのです。

こんな気持ちから応援しています。
ご飯が完食できたら🩷いいね!ただそれだけです。
元気に向かう気持ちの一歩になればいいなぁと思って応援を続けます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
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