「ヘイケイ日記」


タイトルに惹かれて手に取った花房観音さんの「ヘイケイ日記」
物語だと思ったら著者の方のエッセイ集だった(帯にちゃんと「爆笑エッセイ」と書かれていたことに後から気づいた)

私はこの方を全く知らなかったが、このエッセイを読んで大変心が楽になった。

私は今20代後半。私も著者の方同様に、自分のルックスには大きなコンプレックスがある。著者の方のように表に出ているわけではないので、大きく叩かれた経験はないが、他人と比べては落ち込んで生きてきた。

まずは顔。メイクをすることがすごく好きになるくらい、私は自分の顔が変わることが嬉しかった。整形にも興味があるがお金がないことやさまざまなデメリットが怖く行動できていない。
先日ようやくほくろ除去をしたが、肌が荒れ、跡が残ってしまった。
ただ綺麗になりたかっただけなのに、と悲しくなり、それ以降の行動はできなくなった。

次に体型。私は背が低く「可愛い」と言われるサイズよりもさらに小さい。
にも関わらず太っている。これは主観ではなく、数値でしっかりわかるほど。

筋トレを3年間続け、パーソナルジムに1年通ったがまったく体型に変化は現れず、「こんなことをしても無駄だ」と思いながら動くことが悲しくなり全て辞めた。

おしゃれな服や流行りの服は当然合うサイズがない。似合わない。
必死に可愛い服を探していることもバカバカしくなり辞めた。

この著者の方はそれでも愛されたいと思い、男性にお金を渡し続けた。
私は10代の頃に他人に愛されることは諦めた。

正直言うと私は還暦まで生きたいとは思っていない。
できるだけ早く、死にたいと思っている。
老後、閉経の時期のことなど全く考えたことはなかった。

私が女であることは子供の頃から嫌だった。
自分が美しくないからだ。

仲良しグループは本当に辛かった。
人とずっと一緒にいることが苦痛でならない。
流行りのものも知らないし、いいとも思えなかった。

それに比べて男であるということは、女をただ評価するだけの立場にある、
ようにずっと思えていた。

私の歳では男尊女卑なんて言葉は到底感じられなかったが
社会に出た途端ハラスメントに溢れた社会になった。
「相手が嫌だと感じればハラスメント」なのであれば
私にかけられた言葉のほとんどがハラスメントになるくらい神経質になる。

自分が女に見られることがとても不快だ。
とはいえ私の性的嗜好は変わっているわけでもなく、恋愛対象は男だ。

何が言いたいかと言うと、こんな私の考え方をしている人が他にもいるのだと言うことだ。自分は女であることに価値が見出せないでいる私を受け入れてもらえた気がした。

世間的に言うと私は「若い女」である。
祖母には会うたびに「彼氏は?結婚は?」と聞かれるが、一生そんな日は来ないだろう。親にも泣いて謝ったことがある。

時代は「男らしい」「女らしい」と言わなくなったが、私自身はまだ「若い女とは」の偏見に苦しめられている。

著者のように歳を取れば、このような歳を笑い話としてできるかもしれないが、少なくとも私の人生においてはまだ、悲しい話である。

この本はまた読み返そうと思っている。
苦しくなった時、私の考え方は異質なものではないと安心するために。

死にたい私は、きっと死に損なってこの先何十年も生きるだろう。
それでも同じような人がいることを支えに、生きられれば嬉しいと思う。

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