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森が開くとき。 -2019年千葉県台風の追想ー

10カ月前のあの日、杉だけが倒れていた

あの千葉県を襲った台風から今更と言われるほど時間が経ってしまった。。
半年以上たって私はやっとこれを自分の文字にできるような気がした。

 「1日で600本もの木を切った場所もある。(台風通過から)3、4日で、千葉県全体で累積1000本を超えた。正確な数は不明だが、10日以上たったことを考えると、数千本にはなると思う」 陸上自衛官はこう語った。


 あの悪夢のような台風が過ぎた次の日、畑の周りの森を見回ると大きな杉が何十本も倒れていた。電線にもたれているものも多い。折れているのも根本からではなく、地面から数メートルの高さで避けるように倒れ、かかり木になっている。かかり木は倒木の中でも処理が難しい。
これは厄介なことになったと、畑の被害もあって肩を落とした。その後2日ほどチェーンソーをフル回転させ、軽トラとロープで倒木処理に追われた。
倒れていたのは全て杉だった。他の樹種はほとんど倒れず、枝が折れる程度。倒木の原因は明らかだった。

みぞぐされ病が原因なのか?

杉だけが倒れたのは、私の住む地域に植えられた杉がサンムスギという杉で溝腐病(みぞぐされびょう)にかかってしまっていたから。と言われた。
生育が早く、花粉も少ないため明治ごろから建材として県内外で量産されてきたサンムスギだが、間伐や枝打ちなど人の手が入らないと太い幹に菌が入り溝ができてそこが腐敗し溝腐病になる。
ある調査によると県内の杉の8割が溝腐病に感染しているこという。1970年ごろにはその存在が明らかになっていたサンムスギの溝腐病だが、明確な対策は講じられず今に至っている。

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サンムスギでも溝腐病でもない、何か

なるほど、昔に植えた杉の病気かと、そこで腑に落ちる人もいるかもしれない。農家をしながら片手間でも森を整美してきた私にとって、溝腐病は杉の病気ではないことを直感的に感じた。
それは私のいる地域の杉林のほとんどは地目が畑であったり、杉林のほとんどが細く倒れそうな杉ばかりになっていたり、今現在も杉の幼苗が毎年のように植えられ続けているのを見かけるからだ。この不可解な景色は、見落とされるには十分ちっぽけで、農家くらいにしか気づかれないが、溝腐病が人と森の間にある病であることをよく表していた。

杉を植えたのも人、倒したのも人

私は農地のわきで杉を植える農家さんをたまに見かける。植林といっても杉はとても簡単。杉の枝をおっかいて、それを畑に挿して、根が生えたらその苗を森にする場所に植えるだけ。苗をつくる他の樹よりよっぽど楽だ。
それでも、木は植えたら終わりではない。建材として育てるには間引き、枝打ち、下草刈りをして、20年ほどはかかる。植えただけではひょろひょろと細くなり、病気や、曲がりがはいってほとんど使い物にはならない。
しかし手間をかけたところで輸入材が安く手に入るこの時代になかなか売れるものではない。ではなぜ今も木を植え続ける農家がいるのか

環境のためではもちろんない、そして建材にするためでもない。
「こんな畑あっても、やりきんねえ」
木を植える人のほとんどは、畑をやめる人。畑は日光を遮るものがないので雑草がすぐ生えて管理が大変、野菜を作って売ってもいくらにもならない、継ぎ手もいない、、宅地転用しやすくなるらしいという話も手伝って、捨てられた畑は、杉が植えられ、杉畑になっていった。

「昔は、違ったんだよ」

そう言う村の人もいる。
「家の建具は、その土地でとれた木を柱にするのが一番って言われてた。その場所の湿気とか冬の寒さ、夏の暑さとかにさらされてるから容易には腐ったりしない。だから、息子や孫が家を建てるときのために杉だとか檜だとかを植えて、ちゃんと管理もしてたんだ、、」
「風呂やら煮炊きやらに竹と杉の枝使ってた時代(40年くらい前)は、森はほんとにきれいだったよ、、」

台風一過で倒れた杉をチェーンソーで倒して丸太にしている途中、一休みの合間に年輪を数えてみるとだいたい20~30年くらいだった。家の建具として願いを込めて植えられていたのだろうか、それとも畑をやる人手がなく止むに止まれず植えられたものだろうか。。
いずれにせよどの時代に植えた人にも植える思い、植える理由があり、私はそのどちらも理解できる気がした。台風後、倒木となったその誰かが植えた杉の処理をしているときも植えたことを責める気には到底なれなかった。

できた溝、倒れた思い

森の管理とはどんなものか、、4m以上の脚立を使った枝打ちや、高い木を倒す間引き、刈り払い機を背負い続ける下草刈りなどは30代でもきつい。高所伐採や傾斜地での伐採は作業中に大けがや最悪の場合、命を落とす人もいる。やりたがる人はそういない。
農園の周りの森の地主さんはほとんど85歳以上。娘、息子は違う街で暮らしていたり、街の仕事をしていて森の管理はやる時間も経験もないというのが私の地域では一般的。地主さんが今更息子たちに森の管理を押し付ける気持ちにはなれないのもわかる気がする。
ただ、人の事情で植えられた杉は、人が様々な理由をつけて遠ざかっていくその時も、何も言わずその場に根を張り、上へ上へと育っていった。手の入らない森の杉の大半は溝腐病にかかっていった。
こうして離れていく人と動かずそこで育ち続ける森の間の溝は徐々に広がっていった。

植えられてから何十年もたったあの台風の日、人が植えたその木の幹は、その大きな溝から二つにへし折れ、民家や電線、道路といった人の暮らしの上に倒れこんでいった。

森に入る

私は4年ほど前から畑の傍ら、森林整美をしている。ボランティアさんや興味のある人と森の間伐や枝打ち、下草刈りをしてきた。もちろん、一円にもならないのだが、続ける理由はあった。
整美を始めるきっかけは猛暑。倒れそうなほど暑い日に、日陰を求めて森に入るとクーラーの聞いた部屋のように涼しく、少しだが風も吹いて汗がサッと引いていく。
日中、木が蒸散している間、蒸散した水の気化熱で周りの空気が冷却され、気温がさがり、その気温差で森の中に風が吹き込む。連日の猛暑日、この自然の冷却装置に、私は命を救われたような気持に何度もなった。
涼しさ惜しさに森に入って、下草刈りや枝打ちを始めた。

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たった一日森の仕事をしただけでその場の空気・景色が面白いように変わっていった。木漏れ日が入り、風の流れが変わる、続けていくと虫も少なくなり、居心地のよさがでてくる。
人が入れるようになると、興味を持った人がやってきて整美を手伝ってくれた。テーブルや椅子を置いて休憩場所にすると、みんなのお昼はもちろん森の中になった。そうしてたびたび森に入るようになると春先には山菜も採れることがわかった。わざわざ種を撒いたり、管理をせずに物がとれるのは農家にとってこれほどありがたい話はない。森が必要な場所になっていった。

暮らしの手のひらに森を回復する

夏の涼しさだったり、春の苦味だったりが、私の暮らしの中の森の存在。
森林保護の対象という大義名分も他人に誇れる存在感を発揮するだろうが、私の小さな暮らしの中に置くにはこれくらいのサイズ感がちょうどよい。涼しさ、季節感、ついでにちょっとした小遣いをくれるパートナーだからこそ、無くなってもらっては困るという思いも出てくる。そうして森を暮らしの手のひらに収めておけば、こちら都合で突き放したり、大きな溝もうまれずらいと思っている。
こうして森が私の手のひらにやってきたとき、私の心はやっと森に入れてもらったように思う。
今、ヒトが入るようになったその森には小鳥、虫、ヒトが集っている。それを上から眺めている原植生の樹であろう白樫のなげる木漏れ陽にどこか優しさを感じる。管理は厄介なこともあるが、なんとも言えない安心感と居心地の良さがあって、それには代えがたいものがある。
昔、人が植える木に自分たちの暮らしの一部として、家の建材として思いを込めていたように、ちっぽけでも森の存在を人の暮らしの中に宿し、そうすることでヒトの存在、ヒトの心を森の中にもう一度もどすことができる場所をつくりたいとぼんやり期待している。

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