新緑

彼女を知ったのは

彼女が亡くなってひと月たった頃でした

twitterを辿っていて

彼女のアカウントにたどりついた

1番新しい呟きはお父様のものだった

彼女が亡くなったことでアカウントの鍵を外されたとの事


そのおかげで私は彼女と出会えたのだ

新しい呟きから古いつぶやきへとスクロールしていくことは

時として辛いことなのだと感じた

彼女が癌だとわかったのは亡くなった日のちょうど2ヶ月前

その2ヶ月分の呟きで

まだ若いこと

大学を休学して治療に専念すること

すべてが見てとれた

それはたった2ヶ月と言う彼女の癌の進行の速さの残酷さでもあった

その心の動きは切なくて悲しくて苦しくて


我が子とそんなに年の変わらない彼女が死に向かわないといけない気持ち


ときとして諦めたり

ときとして負けない気持ちを奮いたたせたり

病に抗えない辛さが


たんたんと刻まれていた

病気がわかった日のつぶやきと

その1日前のつぶやき

彼女の言葉は24時間で力を失ってしまったように感じられた

twitterは流れていくもの


決して残すものではない

それでも彼女がキラキラと生きていた頃の証が少しは垣間見られる


それは自分の思い描いた人生を途中で手放さなければいけなかった彼女の生きた証


最期に彼女が書いた言葉

私の人生はとんとんであった

苦しく意識の遠のく意識の中でそう伝えたかったのは私にでは無いけれど私はあなたの無念さを絶対に忘れない