私で3代。⑴

私の記憶は案外早かったのかもしれない

1歳になったかなってないかあたりの記憶が途切れ途切れだけどもある

私は2歳前まで父方の実家で暮らしていためちゃくちゃ大きい家でもない2世帯住宅でもないいたって普通の住宅に

祖父と祖母と父の兄と父の妹そして父と母と私

父の長兄は大阪へ転勤になっていたので長期休みに帰って来るくらい

私たち家族はその2階の一室で半ば居候のような形で生活をしていたそういう生活になったのは祖母の意思どうしてそんなことになったのか詳しい話はわからないけれど祖母がそう言った一言でそんな生活をすることになったらしい

当然まだ二十代前半だった母にしたら苦痛の毎日だったとしか想像できない

とは言え母の実家には既に母方の祖父母と母の兄夫婦家族が同居していたので帰れるスペースもなかった

それに加えて父は泊まりのある仕事をしていたのでそんな日は特に姑、小姑のやりたい放題イジメ放題

初孫の私は祖母、伯父、叔母に拉致られ1階のリビングへ食事の時間も母は2階で布団を被って1人耐えていたらしい

私はと言うと祖母たちには可愛がられてはいたと思う子供のいない家族にとって私は格好のおもちゃであっただろうし興味の中心だったのだろう現に1歳そこそこでひらがなカタカナを読み歌も歌っていたらしいそのことはなんとなくだけど覚えているけど

でも私は文字を読んで褒めてもらえるよりも美味しいお菓子を食べさせてもらうよりも母と居たかった

でもその頃には母は既に死にたい死にたいと口にするような状態になっていた

そんな状態が2年近く続いた頃祖父が母の状態を見兼ねて小さな家を見つけてくれてそこへ父と母と私と生まれてひと月の弟とで引っ越した

母はと言えば元々母方の実家も祖母と兄嫁との仲があまり上手くいってなかったこともあって兄達と年の離れた母は結婚するまで居心地の良くない生活をしていたらしい

やっと家を出られたと思ったら今度は姑の一言でいきなり大家族の嫁として生活の全てを任され挙句に私はいつも祖母の元

元々幼なじみで家が近く母の姉家族も近くに住んで居たのでよく伯母(母の姉)の家に私を連れて逃げ込んでいたらしいけど父方の叔母たちは私を家まで連れ戻しに来て母だけ残して私は叔母たちと過ごす日々

祖父のおかけでやっと別居できたけど母の心はすぐには良くはならないその上に弟は生まれつき体が弱く手がかかる

またしても私は弟の具合が悪くなる度に父に連れられて父方の家へ祖母たちのおもちゃとしての日々は続いた時には母方の親戚にも預けられていた


祖母は大きな材木問屋の長女だったそうな今から100年ほど前のこと商人言葉で言う「とうさん」として育てられた祖母は爪も自分で切ったことがない人だった

祖父は農家をしていた田舎のいえから京都に奉公にでてきたその店の品物を祖母の家に届けるために材木問屋に出入りをしていた

家が嫌で窮屈な生活から逃げたかった祖母はその店に出入りする青年をどう脅したのか(笑)祖父にもその想いがあったのかは分からないけど駆け落ちをしてしまったのだ

大店(おおだな)の長女が出入りの丁稚奉公の青年と駆け落ちなんてかなりの騒ぎになったとは思う私は祖母の家族とは会ったこともないから縁は切れてるのか疎遠になってしまっているのかは良くは分からないけど

当時かなりのスキャンダルだったと思うたださすが大店と言えるのか私にはおかしいだろ!としか突っ込むことしか出来ないのだけど

駆け落ちには付き人がついてきていて祖母の妹が何かと通いで祖母の身の回りの世話をしていたらしい