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2023年の、夏の終わり。

今日で2023年も終わりか。
締めくくりに書こうと思っていた文章のメモを開こうとして、iPhoneの画面をスクロールすると、下に行き過ぎて夏の終わりに書いた文章を発掘した。

9月の終わり頃だった。何の目的もなくたらたらと書いたものだった。


この文章を成仏させる時かもなと、公開してみる。


風が心地良いと感じるようになった。雲が一面に広がる空は、見上げてももう太陽が眩しくない。

夏があんまりにも長く居座るもんだから、夏の終わりを忘れそうになってしまっていたよ。
もう一回くらい、浴衣着たかったな。海は、結局入れなかったな。


今日、26歳の時に住んでいた京都の住宅街を歩いてみた。

方向音痴の私だけど、さすがに毎日通った道は覚えていたみたい。見覚えのある角をどんどん曲がると懐かしい街並みが残ってた。当時何人かの友達と住んでいたシェアハウスは跡形もなくなっていて、新築の前に高そうな車がどーんと停まっていた。

もうここは帰るところではないんだなぁと、改めて見せつけられたような気持ちになった。

当時付き合っていた人が泊まりにきたことも思い出し
た。2人で写真を撮った、シェアハウスの向かいに「仲よし」って書いてある建物を見たから。何かが目の奥でじーんとして、鼻の奥がつーんとした。


あの頃に戻りたいかと言われたら、全く否定はできない。大変なことももちろんあったけど、何にも考えず好きなものを好きって言って、とにかく目の前のことに向かって走ってた。周りの友達もそんな感じで、みんなとわいわい過ごす毎日が賑やかであたたかくて、怖いものなんてなかった。

今も無鉄砲で能天気なところは変わらないけど、自分の中の「もう大人なんだから」という緩いブレーキを自覚することがある。

私は少し大人になったかな。
できることは、ゆるせるものが、増えたことかな。
できなくなったことも、あるな。
受け止められる力は、ついたかな。

きっとこの先もずっと、京都は私を26歳にさせる。
いつか、おばあちゃんになったとき、私は誰とここに来るんだろうか。

きっと大好きな人だろうな。そうだったらいいな。


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