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「真珠女」12話【ダイバー】

【ダイバー】

金曜日の午後3時過ぎ、世間は今日から3連休らしい。引きこもりには曜日感覚が無い。今日が祝日である事を涼から聞いて初めて知った。

水族館に直通のエレベーターが既に長蛇の列で、並んでいるのはカップルと親子ばかり。手を繋いでる私達もまわりから見たら付き合ってるように見えるのだろうかと脳裏をよぎった後すぐ、本当は私じゃない誰かと一緒に来たかったんだろうなと切なくなった。

「すごい並んでるけど進むの早そうじゃない?俺3年ぶりくらいかな水族館」
「私は去年沖縄で行ったのが最後かな」
「沖縄の水族館俺も行ったことある!ジンベイザメでしょ」
「そうそうジンベイザメ、すごい大きくて怖かった」
「俺水族館で妹と一緒に真珠取ったよ、好きな貝を自分で選んで、ナイフで開けてさ」
「いいなぁ、私が行った時もあったのかな」
「アコヤ貝ってさ、真珠の核を無理やり捩じ込まれて、真珠が大きくなった頃に剥かれるんだって」
「ええそうなの?初めて知った、なんか可哀想だな」
喋っているとあっという間にエレベーターまで進み、水族館まで上がった。

暗くて涼しい館内。涼と手を繋いで歩いてると普段とは全く別の世界にいるみたいだった。
連休初日のせいもあって館内はすごい人口密度で、一つ目の水槽から次の水槽まで進むのにも時間がかかった。私はずっと涼の腕に絡み付きながら水槽を見てまわって、今までで1番デートらしい事をしてるなと心が華やいでいた。周りがカップルだらけだったのと、顔が近付いても暗くてよく見えないから普段より甘えられる。
水槽の前では私を前に立たせてくれて、後ろからずっと抱きしめてくれる。ずっとこの暗くて狭くてカップルだらけの世界にいれば涼は私だけの男なのに。出口を見つけたら帰りたくないと駄々をこねる子供のようになってしまいそうだ、暗い館内から見える出口は明るいのだろう、その明るい世界には涼の好きな女がいる、この暗くて狭い世界にその女はいない。

メインの水槽が近付いてくると、ちょうど餌付けの時間だったらしくアナウンスが聞こえる。餌付けに興味はなかったけどタイミングがいいなと少しテンションが上がる、そして大きな水槽を見てギョッとした。

大きな水槽の中で泳いでいる1人のダイバーを、多くの人たち群がり見つめている光景がすごく不気味に見えた、本能が拒絶しているように感じた。

自分が1人水槽の中にいて、360度大勢の人から「精神障害者、ブス、死ね」と罵られている。
誹謗中傷を受けていたあの頃の私だ。

鼓動が早くなる、涼に伝わらないように腕から手を離す
「見えない?」と聞かれ「見えるよ」と答えたけど、前に立っている幼稚園くらいの女の子を抱っこしていた男がスペースを開けてくれた。私のためなんかに、そんな事しなくていいのに。涼が私をまた前に立たせ後ろから抱きしめてくれる。
この水槽の中にも社会があるのだろう、こんなに見た目も大きさも違う魚達が上手く生きていける社会なら、私も魚で生まれてきたらこんな孤独を感じることはなかったかもしれない。

最後は触手が長いクラゲが泳いでる横に広いエリアだった、最低限の照明で一段と暗く、クラゲが白く発光している。

「インドネシアンシーネットル」
“刺されると焼けるような痛みや酷い蕁麻疹が現れる”

綺麗だから毒がありそうに見えるのか、毒がありそうだから綺麗に見えるのか、それとも単にクラゲに対する先入観か。優雅に泳ぐ綺麗な「インドネシアンシーネットル」を見て、強い毒の持ち主である事を知ってもビックリしない。毒があるとわかっていても綺麗だと思うのは、涼みたいだ。

水族館を出て「何の気分?」と話しながらこれから入るお店を決める。イタリアンか焼肉の2択になって、じゃんけんで決める事にした。涼が勝って焼肉に決まり「焼肉なんて久しぶり!」とはしゃぐ涼が可愛くて「たくさん食べようね」と母親のような気持ちで返してしまった。

ずっと歩き回っていたせいで2人して「やっと座れるね」と言いながら着席する。正面に座る涼の顔は前回会った時と何も変わらないように見えたけど、私の洞察力が欠けているだけで実は5キロ痩せたとか、髪の毛が抜けたとか、クマができたとか、何かあるんじゃないかと顔をまじまじと見つめた。それでもわからなかった、相変わらず白くて綺麗な肌だ。唇を見てると脇腹を噛まれた時の痛みを思い出して膣がひゅんとする。そして涼の変化に何も気付けないのに膣をひくつかせてる自分を最低だなとも思う。

「奈帆もビールでいい?」
「うん、すごい喉乾いちゃった。お水も一緒に貰おう」

ナムルの盛り合わせと上タンが一緒に運ばれてきて、美味しそう!と大袈裟に反応しながらスマホを手に取る。
「奈帆は写真のセンス無いんだから、俺が撮ってあげるよ」
「ありがとう、涼君に撮ってほしい」
「奈帆全然SNS更新しないよね、俺にメッセくれたのって裏垢?」
「アカウントはあれしか無いよ、友達少ないし何も書くこと無いから放置してるだけ」

私のアカウントを覗きにきてた事を知って少し驚く。初めて会ってから何も更新されていない私のアカウントは、涼にとって化石のようにフォロワーの奥深くに眠ったままだと思っていた。

「SNS苦手なんだよね」
「慣れてないって言ってたよね、何か理由があるの?」
「ネット自体が苦手なの、昔叩かれた事があって。ねぇ先にカルビ焼いていい?」

私が毎日何十回も涼のアカウントを見に行って、今誰と何をしてるのか知りたくて血眼になってフォロワーの女まで確認していると知ったらどう思うだろう。ストーカーだと恐れ私をブロックするだろうか。
涼の“失恋宣言”のあとにSNSの話しをこれ以上広げたく無い、私は知らない、涼に好きな人がいて、玉砕したことなんて知らない。
カルビを焼きながら、私のグラスが空になりかけてるのを気にかけて「次何飲む?」と聞いてくれる、今目の前にいる涼が全てだ。

「色々あったんだね、でも俺奈帆に出会えて幸せだよ、こんなに癒される時間は奈帆と一緒にいる時だけだよ」
「私も涼君に頑張ってメッセ送ってよかった、今すごく幸せ」
肉を口に入れて咀嚼し飲み込んでも味がしなかった。淡々と肉を焼いては口に入れ食べビールで流し、最後に柚子のシャーベットを食べた。
「奈帆って細いのに結構量食べるし飲むよね、たくさん食べてる奈帆すごく可愛い」
“たくさん食べる奈帆可愛い”そう言ってほしかったから、味のしない肉を永遠と咀嚼し飲み込み続けた、欲しいと思った言葉をくれる涼がの事がやっぱり大好きだ。

焼肉屋を出て、家に来たいと言われるかなと思ったけど言われなかった。入念に掃除をして、10代の頃に買ったシャンデリアのスタンドライトをモダンな間接照明に買い換え、バスタオルを全て新品にして、涼が家に来ても大丈夫なように準備はしてあっけど、2人のルーティンのようにホテル街へ向かった。
カラオケに行こうと言った事も、家に来たいと言った事も、すき焼きが食べたいと言った事も。涼は全部無かった事にして先に進んで行ってしまう気がした。

#創作大賞2024
#恋愛小説部門



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