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「真珠女」13話【ピエロ】

【ピエロ】

脇腹に2つ、二の腕に1つ噛まれた痣がある。どれも触れると生傷のように痛む。
枕に涼の香水を付けて痣に触れている時間が何より幸せで、布団に入るのが楽しみだった。痣が薄くなっていくと鮮度が落ちていく魚を見ているようで悲しく、治りかけた痣の上を陶器の小物入れで殴ろうかと思ったけど、自分で痣を濃くしても意味は無い。

明日は風香と六本木のアフタヌーンティーに行く予定だから早く寝ようと思っていたのに、時計を見ると午前6時33分。アフタヌーンティーはもはや今日になってしまった。

待ち合わせは13時。12時に家を出る為に10時から支度を始めたい、10時まであと3時間半。3時間寝れたらいい、動画サイトで眠れるBGMを検索して「ぐっすり眠れる立体音響 / 深海」を選び目を閉じた。

脇腹の痣をゆっくり摩っていると。瞼のすぐ上に、赤いアフロヘアのピエロが出てきた、何も言わずにじっと私を覗き込んでくる。これは夢だと気が付くとピエロは消え自分の瞼だけが映る。
眠りに落ちる寸前に一瞬だけ見る夢は、普段思い出す事のない潜在的な記憶で、この一瞬の夢を見ると私は毎回すぐ眠りに落ちる。今のピエロは昔祖母の家にあった人形だ、幼少期悪い事をすると母が「おばあちゃん家のピエロが来るよ」と脅かした。どうして今そんな夢を見るのだろう。

予定通り13時に六本木に到着し、レストランのフロントで名前を伝え案内してもらうと、窓際の4人がけの席に風香が座っていた。

「六本木なんてあんまり来ないから、迷うと思って早く着きすぎちゃったよ」
「私もすごい久しぶりに来た、外人さんだらけだね」
広く落ち着いた店内の客は半数が外国人で、日本人は殆どが私達と同い年くらいの女性客に見える。どの日本人のテーブルにもピンクのリボンが装飾された3段のケーキスタンドが置いてあり、私達のテーブルにも同じものが置かれた。小さくコロコロしたケーキやタルト、サンドイッチが乗っている。どれから食べようか、手を付ける前に写真を撮る、あとで涼に送ろう。

「奈帆、先にサンドイッチ食べるの?」
「うん、美味しそうだし先に食べる」
「途中で絶対しょっぱいの食べたくなるよ、そのためのサンドイッチだよ」
「マリネとキッシュはまだ食べないから大丈夫」
「絶対残しておいた方がいいのに」と言いながら、風香は上の段に乗っていたシュークリームから食べ始めた。

「この前話した男の子なんだけどさ」聞かれる前に話したくて、涼に好きな人がいて振られたらしい事、私との関係は何も変わらない事、今も私は涼の事が大好きだという事を一気に話した。

「最低だけどさ、涼君に彼女が出来たとしても、奈帆との関係は変わらなかったと思うよ。遊ぶ頻度は減ったかもしれないけどさ。奈帆が付き合っちゃえばいいじゃん、1回ふっかけてみたら?」
「付き合ってほしいなんて言ったら面倒くさがれそう、会えなくなるのが怖くて言えない」
「その時断られても、奈帆が切られるとは思わないな。奈帆を繋いでおく言い方してくるよ。不倫してるわけじゃないんだしさ、付き合いたいって言ってみたらいいのに。私は羨ましいよその男が。奈帆だよ?奈帆の事を好きにできて羨ましいって言ってやりたいよ」

不倫しているわけじゃない、確かにそうだ。風香と話していると、もっと涼との関係を楽しんだ方がいいのかもしれないと思える。涼が振られた直後に私を誘ってくれた事を、もっと喜ぶべきなのかもしれない。

そして風香に言われた通り、サンドイッチは残しておくべきだったと後悔する。

「そういえば、最近よく行くバーで知り合った男がキャバクラのボーイでさ、女の子足りないから働いてくれる子探してるらしいんだけど奈帆興味ない?」
「ああー、どうだろう。今はまだニートやってたいな」
「気が向いたら言ってよ、週1でも出てくれたら助かるって言ってたよ」
「気が向いたらね、いつになるかわからないけど、覚えておくね」

無職生活が一生続いてほしいけど、そうもいかない。いつか働かなきゃいけない。わかっているけど今じゃない。また私がキャバクラで働く事になっても、涼は何も言わないだろうけど、会える時間が減ってしまうかもしれないと思うと腰が重かった。


#創作大賞2024
#恋愛小説部門


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