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課題により、心が動き、現実が動き出した

「子ども本」フリー編集者が、カウンセラーのお弟子になりました。
「カウンセラーってそもそも何?」「どうして学び始めたの?」などを書くつもりでしたが、はじめての課題に向き合う中で、気持ちと現実に変化が出てきました。
動揺激しい1週間。自分の備忘録として綴ります。

初めての課題の1つが「ブログを開設する」こと。
仕事柄毎月取材に行き、文章を書いていますが、それはあくまで「対象者の思い」を「欲しがっている読者」に届けること。私は自分を「黒子の存在」として認識しています。でもブログは自分の思いを表現するもの。そしたらわんさかと押し込めていた感情・感覚が出てきたのです。

うまく取り繕える自分


最初に出てきたのが、「私って本当に、うまく取り繕ってその場をやり過ごせるんだな」という感覚。幼少期から家庭の中でも親族の集まりでも、保育園でもクラスでも女子グループの中でも、とにかくその場の空気を瞬時に察知し、一人一人の奥に押し込められている感情を読み取り、その場で必要とされるキャラを掘り当て
演じていました。それは、「絶対に誰かがキレることないように」「場が緊張感で凍りつかないように」と、全神経が注がれている状態でした。
その結果なのか、いつも権力者にも、お姉様たちにも、気難しいと言われる方々にもかわいがってもらえました。ほんとーーーーーーに大変だった議員妻も、「YUKOちゃんのためなら仕方ねえ!」と助けてもらってきました。死に物狂いの努力をすることで、ある種の成功を手に入れていたのです。

奥底にいる「引きこもり」の自分


でも「もう演じるのをやめたい」と思いました、心から。
そう思い、「うまく取り繕える自分」の感覚を、ずっと感じていくようにしました。何日か続けていると自分の中に、「膝を抱えた引きこもりの自分」の姿が見えました。完全なる引きこもりの自分。その子を見ていると、「夫の中にいる子にも似ているな」と、そんなことも感じました(もちろん現実では夫も私も引きこもってはいませんが、でも私たちはお互いに「引きこもりの自分がいるよね」と認識しています。そしてそこが二人の痛みでもあります)。
それはさておき、とにかくその「引きこもりの自分」を感じながら、前回のブログを書いたのです。

「引きこもり」を認めたら、「取り繕う自分」も愛おしい


引きこもりの自分を「これが今の自分」と思えるようになると、取り繕える自分のことも愛おしく感じ始めました。死に物狂いで空気を読み、演じなければ生きられなかった自分。そこに深く静かな悲しみと、心から「ありがとう」という感覚が出てきました。それまで私は自分への嫌悪しかありませんでした。もう細胞レベルまで自分を嫌悪してきました。
そこからずっと内面と向き合ってきて、40半ばを過ぎた今、「演じることも仕方なかった」と思えたこと。それは私には大きな一歩でした。

カウンセラーの力を借りて、さらに奥へ


次に出てきたのは「私は何もできない」「絶対に社会で必要とされない」「稼げない」という恐怖。また、「愛を受け取るのは死んでも嫌だ!」という叫びも出てきました。ここは一人で感じていくのは難しく、カウンセラーさんの力を借りて深掘りしました。
その結果、両親、祖父母が与えてくれ続けた「愛情」を受け取り、「期待」は親たちに返していくという感覚を得られました(愛情だけ受け取り、期待は返す)。ここからさらに現実が少しずつ変化したのです。

(現実の変化①)「猛獣」の中でも、素でいられる!


現実の変化は、まず仕事で起きました。
「猛獣」とは、一緒に仕事をしている「個性も才能も爆発している年上編集者」たちのこと。もう70代なのにパワフルで個性的。私はこの方達とも一緒に雑誌を作っているのですが、毎回編集会議では、猛獣たちの空気を全力で読み、読みまくったタイミングで意見を「謙虚」に言っていました。
それが今回、はじめてありのままでいいやって、空気を読まずに伝えられました。的外れなこともあったでしょうし、イラつかせたかもしれません。でも、今の私として意見することができたのです。やってみたら一緒に笑えたし、食われたりはしませんでした。15年近い関係性の中ではじめて。「やったー!!」です。

(現実の変化②)子どもが本音を言い切った!


もう1つの変化は家庭で。娘たちが「本当はこれが嫌なんだ」とはっきり言ってくれるようになりました。その思いは察してはいましたが、子どもは私たちに遠慮し、忖度し、遠回しにしか伝えられなかったのです。娘たちの「嫌だ!」を受けて、「さあどうしよう」という悩みは生まれましたが、とにかく親に気を遣うよりも自分の本音が言えたことを、心から良かった!と思っています。

そしてここから……


カウンセリングには様々な使い方がありますが、私は自分の「これをやりたい!」を知りたい。そして、その感覚で残りの人生を実現したいのです。

実は私と夫は、思考的に考えて選択することが著しく苦手。その一方で、障害レベルに鋭い感覚と感受性があります。そういうタイプは今の社会ではとても生きにくく、常に社会から転げ落ちるのではないか、底辺に押しつぶされるのではないかという恐怖を抱えて生きています。

でも私たちが恐怖に向き合い、過去の痛みも遠回りも全部含めて「自分なんだ」と受け入れることができたら、娘たちに「お父さんはこんなことができなくて、お母さんはここが苦手。でも、こういう思いを実現したいなと思って、今できているでしょう。だからあなたたちも大丈夫!」と心の底から伝えられると思うのです。
娘たちが「人って一人一人、みんな違うものでしょう? 人生ってやりたいことを叶えていくものでしょう?」と当たり前に人生を選択して行けたら、もう嬉しくてたまりません。その巣立つ二人の背中を、夫と手を繋いで見送りたいのです。

と、着地点ブレブレで、「長い!」と赤字が入りまくりそうなvol2ですが、唐突にここで終わります。

ちなみに私がカウンセリングを受けているのは、一人は長年お世話になっているベテランさん。もうお一方は、お弟子先輩でもあるカウンセラーのミハルさん。実績もだけれど、相性が合うこともカウンセリングでは大事だと思います(ミハルさん↓)







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