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不登校から教員への道③ 高校生のわたし


1.はじめに

こんにちは、四葉ハルノです。前回は中学生時代の不登校経験についてお話ししました。今回は、高校生時代の私がどのように不登校を経験し、それを克服するためにどのような挑戦をしたかについてお話しします。この時期は、私にとって大きな転機となる重要な期間でした。

2.全日制私立高校への進学

前回お話した通り、中学校にほとんど行っていなかった私ですが、週1の家庭教師との授業のおかげで、公立高校は落ちたものの滑り止めの私立高校には合格することができました。
特待生で入学金免除という待遇までしてもらったならば、頑張らないわけにはいきません。
そして始まりますーー私の黒歴史・JK時代。
何故か特待生ということで、進学クラスに所属するのですが、進学クラスは部活所属禁止で、他のクラスの生徒が部活をしている時間(17時頃)まで教室に残って勉強する決まりがありました。
また、4月下旬に一週間ほどの合宿があり、21時まで勉強していました。
勉強内容も謎で、「社会の教科書をノートに丸写しする」という……。
断片的にしか覚えていませんが、不思議な学校でした。
更衣室もなく、カーテンに包まって体育着に着替えていたので、外からは私の着替えの様子が丸見えだったことでしょう……。
人見知りしない性格が幸いして、友達はできました。
が、これがよくなかった。
派閥争いのようなものが勃発し、やれ誰が好きだ誰が嫌いだ誰が空気読めないだというのが始まり、私は渦中にいたわけではないのですが(いやもしかしたらいたかもしれないな?)、「やっぱり集団生活めんどくせーーー」となってしまいます。
5月末ぐらいまでは行けていた気がするのですが、段々嫌になって、結局、6月からまた学校を休み始めるのでした……。

3.不登校の再発と新たな道

そんなわけで、私は再び不登校児になってしまうのでした。
中学の頃と違い、ほぼ全く学校に行かなくなりました。
単位も取れないし、流石にこのままだと留年・もしくは退学になりそうだというときに、当時の担任の先生から、親と共に学校に呼び出されました。
そして、思いも寄らない提案をされます。
「通信制が設立されるから、移籍しないか」
と。
年明けから移籍すれば、1年生の分の単位を流用することができ、上手くいけばストレート(18歳)で卒業できるという説明がありました。
母は、藁にも縋る思いだったと思います。
私も、このままではいけないことがわかっていたので、移籍の提案を受け入れました。
この選択が功を奏し、後の私の人生が切り開かれていくこととなります。

4.通信制高校の思い出

当時は、不登校は珍しく、通信制高校というのも今ほど浸透していませんでした。
家で勉強していた記憶はあまりなく、午前中の遅い時間に登校し、早い時間に下校していた気がします。
授業内容も自由で、学園の中にある寮が学習スペースだったのですが、エントランスに卓球台を出して先生と卓球するだけで体育扱いになるような、ゆるい雰囲気でした。
同級生のオタク男子が、学校にあるPCにエロゲをインストールしていたことを覚えています。……ダメだろ!!!

中学のときに、親友と出会ったことに触れました。
その子は公立高校に受かっていて、通っていたのですが……朝起きられなくなり(今でいう起立性調節障害だったのかもしれませんね)、登校が難しくなったため、通信制高校について尋ねられました。現状を言うと、なんと、その子も転校してくることになったのです……!
その子がいたから、私は、通信制高校も諦めずに通うことができていたのだと思います。感謝しかない……。
送り迎えは基本的に、私の祖父が行ってくれました。その子も一緒にです。
13時で授業が終わることが多かったので、そのまま、カラオケに行ったり、海に行ったり、家に寄ってゲームをしたりと、本当に楽しい日々でした。
青春だったな~~~。

唯一、後悔していることといえば、修学旅行に行かなかったことですね。
その頃の私は尖っていて、先生方が撮って来てくれた「沖縄紹介ビデオ」を見て、「こんだけ丁寧にビデオにしてくれたら行かなくてもよくね?」という気になってしまったんですね……。もちろん、親友も同じ選択をし、二人で修学旅行には不参加という、尖った行動をしてしまいました。
いや~~~行っておけばよかったなーーーー。
大学生や社会人のとき、「修学旅行どこ行った?」ってのは定番の話題です。「行ってないんすよねー」なんて開き直れるなら良いのですが、私はだいぶ誤魔化していた気がしますね……。
ちなみに、中学時代は京都奈良だったようですが、行かずにゲームをしていたことをよく覚えています。
うん、やっぱり、修学旅行は行ったほうがいいですね!!!

5.バイト生活

高校3年生の秋、近所にスーパーマーケットが出来ました。
第一回でお話した通り、私は元村民です。
謎のコンビニしかないような場所なので、スーパーマーケットが近所にできるなんて思いもしませんでした。
もうお祭り騒ぎです。
そして、そのスーパーが、バイトを募集していました。
その頃の私はオタク活動に夢中になっており、特に2.5次元のイケメンたちにハマっていたので、お金はいくらでも欲しかったのです……。
母にバイトしたい旨を伝えると、当然ながら大反対されました。
「学校にも満足に行けなかったのに、バイトができると思ってるの?」
「学校と違って、休んだら迷惑がかかるのよ」
正論ですね!
でも、「絶対休まない」「頑張る」という約束をして、面接に行きました。
無事に総菜部門に採用してもらい、それから、私の寿司を握る生活が始まります。いえ、正確には、機械で出てきたシャリの上にネタを乗せる生活です。
午後から働ける人材は重宝されて、翌年の3月まで無事に続けることができました。
年末年始はめちゃくちゃ忙しかったし、正社員のおっさんにセクハラされることもありましたが、パートのおばちゃんは優しくて、すごく楽しく有難い職場でした。
月7万ぐらいバイト代が入り、そのバイト代全てが一瞬でオタク活動に消えて行ったのも良い思い出です。自由にできるお金があるっていうのは良いぞ……!!!東京に初めて舞台を観に行けたのも、この自分で働いたお金があったからですね。
意外に、不登校だとかは関係ないです。ちゃんとやるべきことをやっていれば評価してもらえる、それがバイトでした。是非挑戦してほしいし、保護者の方は、後押ししてあげてほしいと思います。親友も、ラーメン屋でバイトしてました。

6.終わりに

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
高校生の私がどのような経験をしたのかをお話させていただきました。
次回は、大学受験についてお話しします。
ぜひフォローしていただき、コメントもお寄せください。お待ちしています!

アイキャッチ画像生成にChatGPTを使用しています。

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