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誕生日と生い立ち

みなさんこんにちは😊
実は私有難いことに本日また1つ歳を取りました!そうです誕生日です‪\👏🏻/
‬(この歳になると嬉しいような嬉しくないような😅)
まぁ次男を出産してから初めての誕生日、何事も無く迎えられた事は本当に感謝すべき事だなぁと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします🙇‍♀️


とまぁ前置きはこのくらいで

前回のブログでも触れた通り 我が家は少し特殊な家族です。
長男を育てながら出会ったママ友さん達からも「自分ならそんな事は出来ない」
「嫌じゃないの?」
と言うような事を良く言われました。
でも当の本人は

ぜーんぜん嫌じゃないんですよ笑

じゃぁ何故私は他の人なら嫌がる事が嫌じゃないんだろう?もしかして私って変わってる…?私が変わってるなら夫も変わってる?
って気になり出したんです。
そこで自分の生い立ちや、夫の生い立ちを考えてみました。
すると、まぁそりゃ人格歪むわなと言わざるを得ない家庭環境だった事に気付いた訳です。
(どうしようもない今更感😭)
でも自分ではそこまで自分は可哀想だとも不幸だとも思っていなかったんですよ。

だって住む所もあり、ご飯も食べさせて貰え、学校も高校までですが行かせてもらえて、今は結婚もして愛しい息子が居る。

…これだけ聞いたら至って普通の環境で育って普通に生活してる人ですよね?

そうなんです。だから自分は普通だと思ってたんです。


でも違った。
普通の人はおばあちゃんと一緒に住んでいたとしても、
オムツを変えてくれるのも
泣いたら抱っこしてくれるのも
夜一緒に寝るのも
お風呂に入るのも
基本はお母さんなんですよね。

私は全ておばあちゃんでした!
(ありがとうばぁちゃん❤️)

何故かというと、
母が21歳の時に私を出産
母と父と母方のおばあちゃんと私の4人家族だったが、父が私が生後半年も経たずに離婚して家を出て行った。
そこでシングルマザーになった母は私を出産する前からしていたホステスとしてスナックで夜働いていた。
夜は家に居ないし、昼間は寝ているので必然的に私のお世話はおばあちゃんの役目になりました。

なので当時私は母の事を『○○母さん』(○○は名前が入ります)おばあちゃんの事を『ママちゃん』と呼んでいました。
何故その呼び方になったのかというと、母をお母さんと認識出来ていなくておばあちゃんを『ママ』と呼んでいた。
周りは「こっちがママだよ」と教えていたみたいですが私が頑なにおばあちゃんの事をママと呼ぶので母の事を『お母さん』と教えたそうです。

当時の私からしてみれば、ほとんど一緒にいる事が無かった母の事は一緒に住んでいるお姉さんくらいにしか思ってなかったと思います。
(その感覚は大人になってもずーっと変わる事はありませんでした)
今思い返してみても、表向きは『お母さん』だけど『母親』として慕う事は1度も出来なかったです。


そんな幼少期を過ごし、私が小学生になった頃
1人の男性が我が家に居候し始めました。
それが今のお父さんです。
一緒に住み始めた頃は『お兄ちゃん』と呼んでいました。
お兄ちゃんは色んな所へ連れて行ってくれました。

富良野のラベンダー畑、阿寒のタンチョウ鶴、網走の流氷、アイルトン・セナが亡くなった時は函館に向かっている最中でした。
思い返せば本当に道内の色んな所に連れて行ってくれました。
そんな時に私は
「お兄ちゃん、パパになって!!」
と車の中で言いました。
(これハッキリ覚えてるんですよね~車内のBGMはTUBEでした笑)
それを聞いた母はこの子は父親を欲しがっているんだなと思ったそうです。

(「この一言のせいで私の人生狂った」
と後から母親に言われるなんてその時の私は思ってもみませんでした。)

長くなるので一旦この辺で😉
次回に続きます。

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