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現在まで残るカーストの正体

 勝ち組と負け組。貴族と奴隷。過去から現在へと続く悪しき文化。それがカーストである。しかし過去と現在では決定的に違うものがある。それは身分制度だ。

身分に縛れることなく誰もが自由に職業を選択できる。付き合える人も自由に選べる。ではなぜカースト文化が残っているのか。「明るい人は素晴らしい」文化に関係しているのではないかと思う。

 言わんとすることはわかる。確かに明るい人は素晴らしいことだと思うし、明るい人は場の空気を盛り上げる力があると思う。正直言って私もあの輪に気軽に入れたらどんなにいいのだろうと感じる。でも入ったところで盛り下げるだけだと思うし、元々の気質が内気な気がするのだ。だから自然と教室の隅で本を読んだりしているような人になった。私はこの状態で満足している。満足しているけれどそれで満足してはくれないのがいわゆるDQNと呼ばれる自称女王様(王様)とその下僕だ。

この者たちの厄介なところは積極的にカーストを作ろうとするところだ。自分達が上である目に見える確証が欲しい。その為だけに逆らわない人間を探す。このような人間がいるからこそカーストが生まれる。いじめられた経験から劣等感が生まれ、劣等感から無意識的に人をいじめる。劣等感を生まない、感じない。だからと言って人のことを見下さない場所に身を置きたい。

結論として元々人同士にカーストはなく、内向的か外向的かに変わってくるのだ。私ははっきり言って陰キャ、陽キャとくくるのはあまり好きではない。陰キャ、陽キャはその人を一種のジャンルとしての区別になるように感じる。内向的、外交的はその人の性格を見ているような気がして好きなのだ。

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