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自粛じゃなくて政治批判をする宣言

「不要不急の外出を自粛してください」ってどうゆう意味?

テレビをつけると「不要不急の外出を自粛してください。」繰り返し流れるこのフレーズ。あまりにも聞くから洗脳されそうになっていました。でもよく考えてみると、不要不急も自粛もよく定義がわからない。今回、その意味を調べてみることにしました。

まず最初に不要不急から
辞書によると
「重要ではなく、急ぎでもないこと」
実生活においてどこまで不要不急のラインなのか。

都の職員によると
「・外出自粛要請が出されている場合は、「とにかく家にいること」が基本
・控えること:用事のない散歩(花見など)、屋外の運動、大人数の集まり
・制限されないこと:食料品・衣料品の買い物、通院、公共交通機関での通勤」

(日テレ「新型コロナと私たちの暮らし」2020.03.27 )
でもこれは都の職員の目安であって法律で決まってない。地域差も多分あるのではないでしょうか。この線引きは曖昧だと思います。

次に自粛の意味


「自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。」

うーん、よくわからない。空気読んで、でしゃばるなという風に取れる...

私の「不要不急の外出を自粛してください。」の解釈は、
「重要ではなく、急ぎもないこと」を空気読んで慎んでね。」

意味はなんとなく理解したが、でも「この政策はなんのためにされたのか」という疑問が出てくる。

本当に感染者のを増やしたくないのなら国が市民の生活を保証して、もっと行動を制限するべきではないのか?

経済対策としても有効であるのかはわからない。自粛によって私たちの生活はどのように制限されているのでしょうか?

しかし、こんな記事を見つけてしまいました。👇

「なぜ日本人は「自粛しない人」をこれほど攻撃したがるのか」

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(President Online 「なぜ日本人は「自粛しない人」をこれほど攻撃したがるのか 」2020/04/16 より引用)


『市民社会から私刑される。。。(;´д`)』

犯罪ではないのに、その場の空気だけで周りにいる人から罰される。

「私はここまで自粛するんだからみんなそうするべきだ」
「マスクしないで出歩く人はおかしい」

自粛によるストレスが同調圧力になり根拠に基づくルールではなくて、世間の目が絶対な法になってしまう。最近流行りの言葉でいうと市民が自粛警察になる。

でも、自粛は国からの「お願い」にすぎないのです。もし「自粛」という曖昧なルールに則って市民を罰するのであれば、その場の空気で市民が市民を罰する社会になってしまうのではないかという恐怖を感じました。

なんでこんなに秩序がない社会が出来上がってしまった理由を自分なりに考えてみました。

政治家が批判しない

 国会中継を見ていると聞こえるのが野次。内容は揚げ足を取るような内容だったり、「ばかやろー」なんてただの罵声だったり。
何を主張したくて、なにを批判しているのかわからない。ただの悪口にしか聞こえないのです。中にはちゃんと意見を批判する野次もあるのかもしれないけど、もみ消されてただ邪魔をしているようにしか見えない。


もしかして国会で十分に批判が行われてないのではないか。
そうでなくてはツッコミどころ満載な政策(マスクとか30万円給付とか)を自信満々にださないでしょう。ただのヤジや揚げ足取りでは論点がズレまくった政策が改善されないまま実行されてしまうのです。

 今、国が重要視しなくてはいけないのが「コロナの感染や経済損失、医療崩壊から苦しむ人々の負担を減らし、できるだけ多くの命を守ること」だと思います。市民の命を守ることが今の最優先事項なのではマスク政策も三十万円政策も微妙に感じたのは、政策の意図がズレすぎたと推測できます。
 批判はただの悪口とは違い、間違いを指摘し正す行為です。それが行われなくては間違った方向に国が突き進んでも、市民もなんとなく流されてしまいます。

 批判を普段していないのは政治家だけではなくて市民にも言えることです。だいたいニュースで政治に関する政策が取り上げられても
「まあ政治家の言うことだからなんかしらの根拠あるでしょう〜」
と感じてはいませんか?(私はなんとなくそう感じていました...)

しかし、マスク政策からからわかるように論点が「コロナの感染者数を減らし、命を守ること」ではなく「なんとなくみんな必要そうなものだから配ったらいいよね」にすり替えられていたのです!

しかし、ただ暴言をはけば批判ができるというわけではありません。批判する側もされる側も論点を明確にして相手の意見を尊重する正しいマナーが求められます。正しい批判がされることなく(批判されていても無視?)、国会を通過してしまった政策は駄作である可能性もあるのです。
だから今、必要なの同調圧力はではなくて科学的根拠に基づいた政治を行うように政府を批判をしなくては政府のいいように利用されるだけになってしまいます。

批判されるのは恥ずかしくない

 ここまでそれっぽいことをだらだらと述べてきましたが、最後に言いたいのは総理大臣だって私だって人間だから間違えるということです(当たり前だけど)。人は批判されなくては間違いに気づかないのです、そのまま突き進んでしまうのです。でも人前で間違えを指摘されると恥ずかしく感じたりすることもあります。
 もし誰かが間違えた時に 「うわ、あいつばかじゃーん」 「空気読めよ!」と相手を見下すことでも、あの人だけはマスクしていないと社会から「悪」を排除することでもなく、安心して批判しあえる環境造りが今の社会で必要だと思います。悪い人を攻撃するのではなく、悪い政策を批判しなくてはどんどん自分の幸福を我慢しなくてはいけません。

 超能力が備わってない限り空気は読むことはできません。人間は話し合ってと相手の考えていることが理解できる動物です。空気を読んで相手に自分のルールを押し付ける「自粛」ムードは自分勝手な考えを相手に押し付ける理不尽な社会を作り出していると思います。なので、私は「自粛」という曖昧な精神論でなくて、政府はできるだけ多くの命を守りまた市民の人権が守られるために現状のデータを公表し、データに基づいた法規制が必要だと感じます

 なぜこの行動がダメで、なぜこの行動がいいのか、精神論ではなくて根拠に基づいて論理的に議論しなくては良い政策が作れません。国会議員だけではなくて、一般市民も同じように論理的な批判ができなくては政治も変わらないのです。

完璧な人間なんていません。プライドで自分の間違えを認めないなんていう余裕はありません。いまこそ命を守るために国を正しい方向へと批判しなくてはいけないと思います。


私は「自粛」するのではなくて、自分の身を守るために政治を批判することを宣言します。

参考
日テレ「新型コロナと私たちの暮らし」2020.03.27 https://www.ntv.co.jp/news_covid19/articles/593q4lrvhr07dwfgttc.html

President Online なぜ日本人は「自粛しない人」をこれほど攻撃したがるのか 2020.4.16
https://president.jp/articles/-/34567

補足
https://youtu.be/XnN0YzOHTGk
「とうとう現金給付10万円の方向で動き出した!批判することの重要性について一言」
Youtuberのせやろがいおじさんが言っていたことをヒントに今回の記事を執筆しました。よかったらみてください。

#いま私にできること  


#私の宣言

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#自粛ムード


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