「好きを探せる力」〜Learn X Creationシンポジウムまとめ

「『創る』から学ぶ」をテーマに未来の教育を考えるイベント「Learn by Creation 2019(ラーン・バイ・クリエイション2019)」が8月3〜4日に行われました。私は「好きを探せる力」と題した2日目のシンポジウムに登壇しました。

白馬インターナショナルスクール設立準備財団 代表理事の草本朋子氏をナビゲーターに迎え、登壇者は私のほか、世界で賞賛を集めるオランダのシチズンシップ教育をはじめ各国の様々な教育実践に造詣が深い熊平美香氏、日本の中高の教育の現場で社会と学校をつなげて「自立した学習者」を育成してきた現役教師の山藤旅聞氏の3名で、幼少時から大人までの生涯を通じた真の学びを促す教育とは何かについて、ご来場いただいた皆さんと共に考える場となりました。

私は自己紹介がてら、モンテッソーリ原宿子供の家の様子を紹介しました。

モンテッソーリ原宿子供の家はとても小さな幼児施設で、3~6歳の子供たち25名ほどが一つのクラスとして生活しています。

写真は子供達が普段通りに活動している様子です。登園後の身支度を終えると、子供たちはそれぞれにやりたいことを自分で探し、自分のペースで取り組みます。教具棚から選んでくる子もいますし、自分の箱からやりかけの作品を取り出してくる子もいます。同じ机に向かっている子供たちがそれぞれ全く違うことをしているのも、いつも通りの光景です。

子供たちの学びのサイクルを、以下のようにシンプルにまとめてみました。

教師は子供の発達段階や興味に合わせて数十種類の教具、教材を棚に並べて用意しています。子供はその中から好きなものを選んで活動します。

初めての教具の場合は、教師がやり方を示します。例えば、「縫い物」であれば、糸をどのぐらいの長さで切ったら良いか、針の穴に糸をどのように通すか、どうやって玉結びを作るのか、などの一連の動作をゆっくりとやって見せます。言葉を少なく、動作を多く見せるのは幼児の特性(言葉を聞くよりも、見て真似する方が得意)に合わせてのことです。

一度見せたら、あとは子供に任せます。子供が一人でできるようになるまでには時間がかかりますが、教師はなるべく手出しをせずに子供のチャレンジを見守ります。どうしてもできない部分は手伝いますが、決して教師の方から先回りするようなことはしません。

何度かチャレンジを重ねて、一つの活動の初めから終わりまでをひとりでできるようになった時、子供には喜びと自信が芽生えます。それが原動力になり、子供を次の学びのサイクルへと導いていきます。

自分ができるだけでなく、他の友達に教えるというプロセスも同じように重要です。誰かに教えることでより学びを深めるだけでなく、他者の理解度を推し量り、(教師と同じように)相手の行動を待つという経験もできます。人に教えられる自分に対する誇りと共に、相手との協調を学べるという点で「教える」という行為は学びの大事な部分であると思います。

このシンポジウムの主題である「好きを探せる力」は、子供が主体となることが大前提です。では、子供が主体となって展開される学びを大人はどう支えたら良いのか?という問いに対する私なりの答えがこちらです。

教育する→体験する

まずは子供を「教育する」という発想を捨てること。そして、子供自身が「体験」を通して自分で感じ、学び、感想を持てるように環境を整えること。

ここでの教師の立ち位置とは、ファシリテーターのようなものです。従来の教育現場では、教師が子供の学びをリードし、規定のカリキュラムをこなすことに重きが置かれる傾向にありましたが、モンテッソーリの現場では、教師が子供を引っ張るのではなく並走するようなイメージです。大人と子供が隣にいて、同じ方向を向いているのです。

どの子どもも違う

成長の過程には、当然凸凹ができます。身体、心、感覚、言語、論理的思考など成長には様々な要素がありますが、全てにおいて同じようなペースで成長するわけではなく、個人差があります。好き嫌いという興味の差もあれば、得意、不得意もあると思います。ですから、子ども同士を比べる意味は全くありません。
みんな違って当たり前です。

子どもが自分でするのを待つ

とかく大人は待てません。子供の将来を案ずるあまり、ついつい余計な手出しをしがちです。しかし、大人がやり過ぎるせいで子供が考えて行動する機会を奪ってしまっては何にもなりません。子供が自分ですれば、最初は失敗します。しかし、失敗は学ぶ機会です。小さいうちにたくさん失敗を経験した方がいいのです。


登壇者3名によるそれぞれの自己紹介後、モデレーターおよび会場から質問をいただき、いくつかのテーマでディスカッションをしました。私からお答えした部分について、以下のようなものがありましたのでまとめておきます。

Q1.  
モンテッソーリでは子供が自分で活動を選ぶことを大切にしているようですが、親はどうしても「この時期にはこれをやらせた方が良いのでは」とか「同じ年齢の子供はこれができるのだから、うちの子にもできるはず」などと色々やらせてみたり、できないと焦ったりしがちです。子供が自分で「好き」を見つけるにはどうしたらいいのでしょうか?親や先生はどのように関わればいいですか。

なかなか広くて難しい質問ですが、私はこんなふうに考えています。

子供には自ら育つ力があるということに立ち返って、子供の主体性を大切に考えてみましょう。他の誰かと比べて不安になったり、焦ったりするのは、大人が子供を自分の評価軸で捉えているからだと思います。または子供の出来を自分の評価として捉えてしまっていることもあるかもしれませんね。
しかし、本来は子供自身が自分をどのように評価しているかが重要です。物事を自分で判断し、自分で決め、自信を持ち、満足している子供は自ずと自分で「好き」を見つけられます。そういう子供を育てるには、何歳であれ無駄に「子供扱い」せずに個人として認めること、そして「自分のことは自分でする」という態度で付き合うことが大切な一歩だと思います。

Q2.
モンテッソーリ・メソッドを取り入れてみたいのですが、近くに実践している保育園・幼稚園がありません。自宅でできることはありますか?モンテッソーリ教具を買ったらいいのでしょうか?

一番大事なことは子供の主体性を育むということです。モンテッソーリ・メソッドでは、子供の学ぶ環境を整えることが大人の役割と考えています。教師や親を含めて、子供に関わる全ての大人が子供の環境に関わっているわけです。幼児にとっては、学校よりもむしろ家庭にいる時間の方が長いわけですから、家庭の役割はとても大きいと思います。

家庭では、まず子供が身の回りのことを自分でできるようにするところから始めると良いと思います。子供であっても、「自分でできることは自分でする」ことが基本です。靴を履く、脱ぐ、揃える、洋服を着る、脱ぐ、たたむなど少しずつできることを増やしていったらいいと思います。上手にできなくても、自分でやりたい・できた!という喜びを親子で共有できたら最高です。

それから、ホームモンテッソーリを実践するために自宅に教具を揃える方もいらっしゃいますが、個人的にはあまりお勧めしません。モンテッソーリ教具にはひとつひとつに狙いと目的があり、それを理解して子供に使い方を示すためには専門的なトレーニングが必要です(モンテッソーリ教師は専門的に学び、資格を取得しています。本格的に学びたいという方にはお勧めですが・・・)。

また、教具は子供の発達過程の興味に合わせて、系統立てて作られています。一つのことができるようになれば、次の教具というように順序が決まっているものもあります。子供の興味に合っていれば、ひとつでももちろん楽しめるのですが、それだと既成のおもちゃとあまり変わらないかもしれません。

また、モンテッソーリの活動は子供が自由に選択するという点を大切にしていますので、大人がいくつか選んで買ってきた時点で子供の楽しさが半減しているとも言えますよね。

Q3.
食べ物の好き嫌いが多くて困っています。子供に食べてもらうにはどうアプローチすべきでしょうか?

私も子供の頃、好き嫌いが多かったのでなんとも言えませんが、子供が食べたくないものを無理に食べさせるというのはお互いにアンハッピーかもしれません。それよりも、まずは食べ物に親しむ・楽しむということをしてみてはどうでしょうか。

ベランダでミニトマトやバジルなど野菜を育ててみるとか、一緒に料理してみるのもいいと思います。子供の家では秋に収穫体験をして採ってきた野菜を、みんなで調理しています。そうすると、普段あまり好んで野菜を食べない子も進んで食べたりすることがあります。自分で育てたとか、収穫したとか、料理したことをきっかけに食べ物の見方が変わるのかもしれません。

小さい子ならトウモロコシの皮をむくのを手伝ってもらうとか、きゅうりを塩で揉んでもらうとか、パンに野菜やハムを挟んでサンドイッチを作るとか。色々できそうですよね。


・・・・などなど、質問は尽きませんでしたが、やはり大事なのは子供に「こうなってほしい」と思うのではなくて、子供のありのままを受け止めるところから始まるのではないかと、また同じところに戻ってきました。



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