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親にはなれなかったからこそ【シロクマ文芸部】

誕生日。それについて思うことがあるのです。以下、思いつくままに。

私は年齢的に自分の子供を授かる、産むことは叶いませんし、その機会に恵まれませんでした(体の問題ではなく、時期を逸したとご理解頂ければと思います)。それは事実のみであり、不運とも不幸とも受け止めていないのですが、親には幾ばくかの申し訳なさが残ります。

「私の子、あなたの孫を抱かせてあげられなくてごめんなさい」と。

私自身がお婆ちゃんと呼ばれても差し支えない年代になりましたので(保育園・幼稚園世代くらいの子等がいて不思議のない)、こればかりは致し方がないのですが。
私は長子ではなく一人っ子でもないので、親にはひ孫までおります。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんと呼ばれる両親。幸福なことでしたし、幸福なことです(今現在は母のみが存命です。父は卒寿を越えた後に天寿を全ういたしました)。

母は女親であり老域になってなお深い母性を持ち続けているので、未だ至らぬ私が何某なにがしかを告げる必要はないのですが、父は、その点がどこか子供じみておりました。最後まで生意気だった娘として、こんなことを語ったことがあります。

「家族に辛辣なのは照れ隠しなのでしょうけれど。知っています?伴侶を得て、孫ひ孫までいる、その幸福はものすごい確率の偶然が重なっているのよ。もう少し自分の妻だけでも大切にしてあげて?言葉にしなくては分からないのよ、人は」。

正鵠を射すぎ、つい身を躱したくなる言葉ばかり告げてくる娘に、老いた父はそっぽを向きつつ一言を返してきました。「分かった。分かってる」と。
斜め前を向き続け私の顔を見ぬ実父に、会話の締めとして告げたのは——

「うるさいと思える人がいるって幸せなのよ。選んで選ばれた、その結果でしょ?お父さんの選択、その結果の証でもある私は甲斐性と運がなくて、不満を告げる相手すらいないのだもの」

受け止めきれぬだろう言葉ばかり告げましたが、私にしか言えない言葉でもあった。だから後悔はしていないんですよ、父上。
もうすぐあなたの愛した女性、その人が誕生日を迎えます。そちらで祝ってあげてくださいね、今年も。今年も来年も、あなたの誕生日をこちらで祝い続けますから、そのお返しとして。

この僭越で拙い記事にお付き合い頂いている方は、若き方も家庭を守っておられる方も、あるいは単身にして多くの方と交流する私のような環境の方もおられるでしょう。どうかご自身が愛する方に「ありがとう」と言葉で告げてください。
私たちは、言葉で心を伝え合う生き物なのです。面倒で難しい言葉、それを交わし合う存在がいる。それは人生最大の幸福なのだと、私は思います。唯一の人を持ち得なかったからこそ、そのことだけは少しだけ分かるつもりになっている、僭越分際弁えぬ1人のnoterのお願いです。


拙稿題名:親にはなれなかったからこそ
総字数:1126字(原稿用紙三枚相当)

二度目の参加です。小牧さん、よろしくお願い申し上げます。

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拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。