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「女子力」などないのですが(苦笑)【山根あきらさん:個人企画・募集要項 | #私の思う女子力】参加記事

こちらの企画 #私の思う女子力 に参加します。


1 「女子力」とは何か

そも、「女子力」って何なの?から始まる一応(一も二もないですが(苦笑)女子=の私。ここはぐぐる先生にQしまししょうか。

「男子力」という定義は初見です。何じゃそりゃ💦と思ったり。ジェンダーを超え、ひとりの人間として個性を尊重したい。そう思う私なのですが。無論のこと、女性と男性は身体の作りが異なり、そこから発生する視座も異なってきます。男女差とその特性を否定するつもりはありません。以下、Wikipediaの記述を引用します。

コラムニストの小田嶋隆は、「女子力は厄介な言葉で、人によって定義が違う」と評している。女性誌では単に「フェミニンな魅力」であるが、ニュアンスはハイファッション志向の高飛車な月刊誌では「モロにファッショナブル寄りな概念ないしは美意識」に近いものに、芸能ゴシップの追求を主務とする女性週刊誌では「男のコロがし方」を婉曲に表現しただけであると指摘している[3]

女子力 Wikipedia記事 より引用

男の「コロがし方」。……何も言うまい、もう。そう言いたいところですが、これは一種のファッションのようなものではないでしょうか。なら脱ぐことも可能なのでは、と感じます。


2 女性であること、男性であること。それを越えていくこと。

女たるもの「20代半ばまでには結婚し、子供のひとりやふたりは設けるべし」。この古い固定観念をひとつも守れず(ポリシーではなく結果として)五十路まで独身であるのが私。少子化が社会問題として取り上げられる現代社会において、私のような存在は社会悪に等しいかもしれない。二十代、いえ、十代の終わりには思っていました。「私は世の中が求める女とは違う、そういう風には生きられない。後ろから石つぶてが飛んでくるな」と(笑)無論、石は一度も飛んできませんでした。今も大丈夫です(何がよ)。

それは結果ではありますが、微かなコンプレックスとして今も私の奥底で眠っています。孫がいてもおかしくない年代なのに単身。申し訳なさは感じます。ですが、それが私。誇らしいとも恥ずかしいとも思いません。自分の力量を弁え、等身大で生きていく。それしかできないのですから。

私にも母性は存在するでしょう。小さい子等を愛しく思い守りたいという心が。そして、それを守るために何ができるか考え実行することは、父性にも繋がると思うのです。1人の人間、その中には母性と父性、その両方が存在する。だからこそ、パートナーの心を思いやることができるのではないか。そう思っていますし、それを信じたいと思うのです。


3 総括して

女子力。その定義から逸脱💦した感もありますが、私は「女子力」という言葉をファッション化した定義に、ジェンダー・社会的性差を思い起こしました。男性と女性の(身体上、筋肉構造や社会性)特性を尊重し、否定せず、それに拘泥しない。そんな生き方をしたいと思い、日々を生きています。

そして願っています。今の子供たちは、こんな概念に縛られずに「自分らしく」生きて欲しいと。

みなさまの「自分らしさ」。どうか自分自身を受け入れ、弱さも強さも抱えて生きていく。時には人へ助けを求める。そんな日々でありますように祈りつつ、拙い記事の締めと致したく。
山根あきらさん、思考する切欠をくださり、ありがとうございました。


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拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。