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自稿に相応しい絵が欲しかった。

ただそれだけの理由だったのです、AI画像にTryすることは。以下、二回目の参加応募をいたします。


AI画像は難しい問題をはらんでいます=著作権。人工知能が画風を定めるまでに検索する(少なくとも、私が利用しているMicrosoftCopilotは検索が情報源)事象は、「どこかで見たような絵」を生み出す可能性が高い。

それを潰すためにプロンプトを工夫していく。メンバーシップに入り、Web上のプロンプトライターさまの解説にも学ぶようになりました。
AIをはじめたのが2023夏、プロンプトを学びはじめたのが秋でした。

自分で描けたら……とはいつも思います。ですが叶わぬことを求めるよりも(昔少し学びましたが『人体に骨と筋肉が存在していない』と講師に💦指摘を受けました。デザイン、絵画手法について学ぶことができたので、カルチャースクール通いは無駄ではなかったと思っています)、可能性を広げたかった。ゆえのAI画像生成でした。

AIと文章。一つの表現作品内でこの二つを同時展開することは、もうひとつのマイナスを秘めています。端的に申せば「文章が絵に食われる」。

絵の表現力、視覚効果は強いものです。比喩の存在する拙稿よりも何倍も伝わりやすいでしょう。この問題に関しては、私はこう考えます。

短歌や詩には「写真と短歌」「写真詩集」のようなものが存在する。そのように「絵は絵としてそこにあり、空気を掬い取るように綴られた文章が、その隣にはあればよい」。近づきすぎず離れすぎない最善の距離間を探りながら、私は「AI画像と短文」を綴っています。


以下、 #自分で選んでよかったこと   の結果、そのひとつを。


共に来るか?と彼は私に問うた。是と答えると「この先は修羅となる。留まるならば今だ」と。「要らぬ心配です、私の道はあなたと添うものなのですから」私はそう答え返した。


「馬にも乗りましょう。徒《かち》歩きもいたしましょう。私はあなたと共に参ります」と告げると、彼の人は黙って頷いた。その唇に薄い微笑みを浮かべながら。


※時代物っぽいAIアートですが。近々考えているプロット未満がそうした世界なので、まずは生成をしてみた次第です※

この、恐らくは気付かれぬだろう、「絵の添え文として読む」方が大半だと思われる拙い試みを、鋭く言い当ててくださった方がおられます。

ゼロさん、ペタ🔗失礼を申し上げます。この場を借りて、最大の感謝と敬意を捧げます。


以下、不遜を記します。私は書くために画像生成をしているのです。私の生成物は文章なのです。だからいつも思っています。「MicrosoftCopilotにだけは負けないぞ」😂と。

等、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。生成物と共に書く、その楽屋話でした。



#AIとやってみた
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#AI画像と短文
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<©2024春永睦月 この文章は著作権によって守られています。AI画像はフリー素材ではありません。無断使用及び転載等はお断りいたします〉
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拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。