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生まれ変わってもまた、パパとママの子がいいな。



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私の誕生日に、なぜかケーキを食べている写真が送られてきた。本人はいなくてもケーキを食べてお祝いする、私の家族。

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高校を辞めたとか、家を持たずに旅をしている、というと「どんな家族なの?」と聞かれることが多い。親が海外を飛び回っているとか実業家だとか、特別な家庭で育ったと思われている。

だけど、私の家族はとても「普通」だ。


東京の郊外にある実家。サラリーマンのパパと、パート兼主婦のママ。大学生の妹と、溺愛しているカニンヘンダックスフンド(ここちゃん)の4人+1匹暮らし。おじいちゃんとおばあちゃんの家まではどちらも自転車で15分くらいで、昔はよく遊びに行っていた。

絵に描いたような、普通の家族。



強いて違いをあげるなら、うちが他の家族よりも少し貧乏だ、ということ。過去に2回くらい、パパの働く会社が変わった。

確かどちらも倒産だったと思う。


家の貯金がピンチになると、うちは『超節約モード』になる。朝とお昼は3パック58円の納豆で、夜ご飯のおかずはもやし炒めだった。


あまり物欲のないパパがめずらしく「どうしても欲しい」と選んだ車を手放したこともあった。8人乗りの黒い車は妹の学費や生活費になり、代わりに中古のラパンが来た。


『超節約モード』じゃない日も、贅沢ができるわけではない。白菜は高いのでお鍋の野菜はもやしとキャベツだったし、ママが自分の洋服を買うことはほとんどなくて、高校生の私がバイトして買った服を一緒に着ていた。

それが普通だと思っていたのだけど、友達に「鍋にキャベツ入れるの?」と言われて、違う環境の人と関わるたびに、「うちってちょっと変わってるんだな」ということを知った。


それでも1年か2年に一度は家族でディズニーランドに行っていたし、毎年キャンプにも行っていた。ホテルや旅館ではなく、テントだけど。

誕生日にはファミレスに連れて行ってもらえたし、中学生のときは1000円のお小遣いも貰っていた。不自由なく育ててもらっていたんだな、と今になって気付く。そういえば、お小遣いは最初500円だったのだけど、どうにか交渉して1000円にしてもらった記憶がある。




超放任主義で、超過保護。

私の両親はかなり超放任主義。だけど、超過保護。それが一時期、思春期の私にとっては辛かった。


私は小さい時から、比較的自由に育てられてきた(らしい)。高校を辞める時でさえ、両親の口から「ダメ」という言葉は一度も出なかった。

高校卒業後は就職予定だったのに突然進学すると言ったときも、
指定校推薦で合格した大学を辞退したいと言ったときも、
「浪人しても無理」と言われた大学を受験すると言ったときも、
勝手に就職して一人暮らしを始めたと思ったら、8ヶ月で退職してタイに行くと言ったときも、絶対に、「ダメ」という言葉を口にしなかった。



一方で妹は、すごく一般的に、だけど大事に育てられている。

毎朝何十回も名前を呼び起こしてもらって、
友達と仲良くできるようにと手助けをもらい、
高校生でもバイトをせずにお小遣いをもらって、
奨学金やパパの車を売ったお金で4年生の文系大学に通わせてもらって、いまでもママと2人でよく出かけている。

おなじ姉妹。年齢だって、2つしか変わらない。なのに、こんなにも違う風に育てられてきた。




だから私は、愛されていない。という呪い

もうこの際だから全部言っちゃうね。高校生のときたくさんバイトして、1ヶ月で25万円くらい稼いだ。稼いだ分は「将来やりたいことができた時に使う」ように貯金。そのお金で予備校に通い、短大に進学した。大学時代も、ひたすらバイトをして学費を払った。たまに寝坊したけれど、ちゃんと授業を受けて単位は全部取った。

サークルに入る余裕はなかったけど。


頑張ったんだから褒めてよ!と言いたいわけではない。そうやって駆け抜けているとき、それはそれで楽しかった。


だけど妹はそうじゃないと知ったとき、すごく辛かった。「あぁ、妹はちゃんと愛されているんだな」と思うと、悲しかった。愛犬のここちゃんを抱きしめて、愚痴った。どうして、おなじ家にいるのにこんなにも違うんだろう



悲しい。辛い。羨ましい。嫌だ。
いろんな感情がぐちゃぐちゃだった、あの頃。




愛するということ

以前、『愛するということ』という本を読んだ。いわゆる「愛♡」ではなく、愛について哲学的に語っている本。この本を読んだら自分も誰かを愛することができるようになるのかな〜なんて思っていたのだけど、そう上手くはいかず、「あ、いまの私には無理だな」ということがわかっただけだった。。。

つまり、人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは無意識のなかで、愛することを恐れているのだ。
--- 愛するということ


この文を読んだ時とき、(完全にはわからなかったのだけど、)なんだかとてもしっくりきた。それから、「それに納得してしまっているうちは、愛することができないな」と思った。


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話が逸れましたが。
この間、「生まれ変わるなら男と女どっちがいい?」という話になった。

もし私が男だったら。もし違う環境で育っていたら。もしパパとママが違う人だったら。


たぶん、「妹と育て方が違う!」と、悲しくなることはなかったんだろうな。



だけどきっと、こんなにしあわせな人生を生きることはできなかった。


思えば、
高校を辞めたとき、パパはバイクでドライブに連れて行ってくれた。海外に行くときはいつも、安全祈願のお守りを渡してくれた。テレビやイベントに出ると、周りの親戚にうれしそうに話していた。実家に帰ると言うと、ママは私の好きなご飯を作ってくれた。


私はいま、好きな人、好きな場所、好きなものに囲まれて、仕事が楽しくて、明日が楽しみで、生きているのが本当にしあわせです。

これは私の両親が、私のためにくれた愛のおかげなのかもしれない




だから私は
生まれ変わってもまた、パパとママの子がいいな。










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