#14 食べることが風景をつくる
≪「食べること」をちょっと角度を変えて考えてみる≫というのが今回のテーマ。
毎日欠かさず行う「食べること」から広がる世界・風景について、農業と風景との関係から書いてみます。
風景をつくるごはん
『風景をつくるごはん』と聞いてどんなイメージを持ちますか?
詳しくはこちらのページ(風景をつくるごはん〜はじめに〜) に書いてありますが、簡単に説明してみます。
※農村振興や景観の観点から詳しく知りたい方はこちら→「風景保全策としての「風景をつくるごはん」プロジェクト」
農村の風景のために私たちができること
日本の地方には、息をのむような農村の美しい風景があります。地方によって、その風景は様々で、例えば(ほんの一部だけれど)新潟県の星峠の棚田、静岡の茶草場などが有名どころでしょうか。農村の風景は、もともとあった自然の風景ではなく、そこで農業が営まれていることによって保たれている風景です。ここが大きなポイントで、もし畑が耕せなくなってしまったらその風景は保たれなくなってしまいます。日本には過疎化・高齢化が進み、農業を続けることが難しくなっている地域はたくさんあります。直接かかわることは難しくても、その地域の農産物を食べることで農業を応援しようという取り組みが「風景をつくるごはん」です。このようなわたしたち消費者の選択が、“農村の風景をつくっている”ということにつながるのなら、都会に住んでいる人でももちろん地方に住んでいても、自分事として”食と農業と農村”のことを考えられるようになるんじゃないかと思っています。
私は中学生の時に棚田の景観に魅せられてランドスケープに興味を持ったわけで、この取り組みを知ってからは「東京に居る自分でもこれならできる!」と思って「風景をつくるごはん」をゆるりと実践しています。
サイトにはこのように「風景をつくるごはん」のルールが載っています。
わたしは徳島に住んでいるので、なるべく徳島産のものを食べるようにしています。
それを基本に、つぎのようなルールをゆるく決めています。
1.基本は徳島県内産の食材
2.選べるときはなるべく過疎地のもの
3.出来るだけ産直市で購入
4.調味料など難しい場合は四国内
5.旅行先で買ったものはOK(むしろ積極的に)
6.それ以外は、無農薬、有機栽培のもの(地力を落とさない)
わかりにくそうなものについて少し説明すると、3の「出来るだけ産直市で」というのは、産直市で売られているものは生産者が自ら値段をつけたものだからです。5の「旅行先で買ったものはOK」というのは、旅先で風景を楽しんだら、そのお礼として産直市などで「その土地の風景をつくる食材」を買おうという気持ちです。また、6の「それ以外は、無農薬、有機栽培のもの」ですが、たとえば日本ではなかなか栽培されないスパイスなどがそれです。身近な場所のものが買えないのであれば、せめて生産地の地力を落とさないよう配慮されているものを選びたいと思っています。
私自身はなるべくこのルールに従いつつ、風景をつくるごはんに関連する考え方で始まった認証制度(EUなら原産地呼称制度のラベルがついているもの※詳しくは別の記事で)に登録されている食品や、地域の伝統種を積極的に選んだりしています。
「おいしい」+「農業が続けられる環境を守ること」
今の農業は、消費者の食べたいときに”おいしい”、”安心・安全な”農産物が欲しい、という需要に応えるために石油エネルギーを投入して収穫時期をずらしたり(促成栽培など)、畑の集約化・大規模化をしています。その土地で得られるエネルギーで足りない分を外部から持ってくる農業が持続可能ではないのは明らかでしょう。しかし、農家も稼ぎがなければ農業を続けられないので、この状況を一方的に批判することでは何も解決しません。だからこそ「自分の立場でできることは何なのか?」を考えるのです。
私たちは一消費者ですが、皆が少し考え方を変えて、食べものの選択を通して農業を応援することは、大きな力になるはずです。
今後、ごはんレポートを載せつつ、違う角度から食と農について書いていきたいと思います。スーパーで食材を選ぶ時、「どこ産の野菜だろう?」とか、「あ、有機栽培の野菜だ!」とか少しでも気にしてもらえるようになったらうれしいです。
身土不二
身土不二(しんどふじ)とは、漢字の通り身体と土(環境)は分けられない、切り離せない関係である。という意味です。マクロビを知っている人は聞いたことがあると思います。これを意識したら、自然環境に負荷をかけることは、まわりまわって自分にも、同じ土地で生きる後の世代にも負荷をかけることになると考えられないでしょうか。
それからやっぱり、自然の恵みでできた季節の農産物を取ることは一番シンプルな体調管理の方法ではないかと思います。(外食もたまにはいいけど、外でお金をかけて食べるごはんよりもシンプルに季節のものを味わうことの方が自分にとっては幸福度が高いかな。)
ランドスケープに思いを馳せる
ここからは私の想像というか、妄想というか、何でそういう思考になるの?って思うかもしれないけれど、書いてみます。
ここで言う”ランドスケープ”は、「土地の自然環境と人々の営みによってはぐくまれてきた風景」を意味します。
食べ物を通してどこかの土地と自分の身体がつながっています。どんな風景なんだろう?って思いを馳せてみたり、作っている人たちはどんな生活をしているのだろう?ってちょっと想像してみる。けど想像することは周りに畑がないところで育った人には思った以上に難しくて、全然想像できなかったりもする。
想像を助けてくれるのは、やっぱり旅かな、と私は思います。
旅行に行って、その産直市に行ってみたら、みずみずしい野菜や果物が並んでいる。さっき通った道沿いに人がる畑の野菜だろうか?
この小松菜を買ったら、ふとした時に見えたあの畑の風景が続いていく事に貢献できるのかな。
こうして、色々なところの風景を蓄積させていく事でちょっとずつ想像を広げていける気がします。つまり東京に居ても、離れた場所のランドスケープに思いを馳せることができるということです。
以前の記事(#9 Landscape Architecture)の文脈とは全然違うのだけど、風景をつくるごはんを実践して、誰かに食べてもらうことは離れたランドスケープと人をつなぐ、ある意味ランドスケープアーキテクトの役目かもしれない??
何せランドスケープアーキテクトは何でも屋だから(笑)
都市農業・市民農園
旅行してたくさんの風景を蓄積させるのがいい、と書いたものの、旅行もしょっちゅうできるものではないですよね。
都内には結構市民農園があって、私の大学時代よく行っていた世田谷の馬事公苑の側にも小さな区画だけど市民農園が3年前くらいにできていました。
家の近くの生産緑地でも、有機栽培をしていたり、農村ではないけれど、都会の農の風景があるようです。
そういう場所を探してみるのもありなのかもしれません。
「身体」を忘れた日本人 JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES / 養老 孟司 ×CW ニコル
さいごにまた本の紹介。
日本人は周囲の環境を遮断するのではなくて、うまく折り合いをつけて生きてきたはずなのに、今は季節関係なくコントロールされた環境で快適に暮らしています。自分もその恩恵を受けて暮らしているので、何とも言えないけれど、生物としての身体の感覚を忘れたくない。
今週末、新潟で田植えをしてくる予定なので、そこでのこともまた共有したいと思っています。
それではよい夜を!
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